2014年11月30日日曜日

病人じゃナイ!

6回目のバドミントンでは
ようやく母の手先が温かくなり始め、
代謝が上がってきていると喜んでいました。



4月のあの日から、
家ではずっとパジャマで過ごしていましたが、

「まぁ病人ちゃうしな☆」なんて、

耳を疑うような頼もしい発言も!笑


きちんと着替えるようになり、
メイクするようになった日には、

勤務しなくなった事を除けば、
これまでと変わらない毎日じゃない?なんて、

2人で「すごいよね♪ミラクルよね♪」って笑い合ったり。


「自分の免疫力で治す!」と言ってくれたし、
もう大丈夫だと思いました。
腫瘍マーカーもどんどん下がってきているし、
これからどんどん良くなるものだと。


あの発熱までは。





2014年11月29日土曜日

リハビリを超える??末期ガンでもスポーツやってます!

ステント交換後の母は本当に元気で、
不快感もないまま、
とても好調に過ごしました。


家事も大分こなせるようになったので、
2軒分の家事に走り回っていた頃を思えば
私も本当に楽になりました。




お天気の良い午後は、
散歩するようになり、
卓球の次は 近くの公園でバドミントンも♪


ウソでしょう??? です。


ギャーギャー言いながら、
小学校帰りの子供達が公園に遊びに来るまでの時間を
オバチャン2人が独占。笑


走り回る事はまだ出来ませんが、
初回に比べて大分動けるようになりました。

「ほっ!よっ!!いいね!!
 ナイス!!ナーーイス!! ぎゃーーー!!!」

まぁ騒々しい。。。笑


ほんと、ウソでしょう???

私だっていつ振りよ??
私だって昨年の夏はまだ寝込んでたんだよ??笑




秋の高い空に見守られながら、
小一時間外で遊び、
「あ〜楽しかった!」と子供のようにはしゃぐ私達。

この歳になって、
こんな風に母と時間を過ごす事になるなんて
想像もしていませんでしたね、。笑





長男の嫁らしく、ずっと気がかりだったらしいお墓参りも、
もう何度行ったかしら。

最初は少しの遠出も心配で、
後部座席でずっとマッサージしていました。

今も、お墓参りの行き帰りはマッサージがお決まり。

足の浮腫みが心配で、
何かしら触れていないと気が済まないのです。(私が。笑)


お墓参りを済ませたら
静かな港町でお弁当を食べ、
広場でまた出たバドミントン。笑


ええ歳の親子3人が原っぱでバドミントンですよ。
なんて微笑ましい光景でしょう。笑





『どんどん良くなっていってる!大丈夫!』と


強気でいられる時間でした。





卒業とその先

勤務先を退職したのは7月だったか、

ベテランを過ぎて、
卒園児の子供の代まで見てきました母、

こんなにあっけなく終わってしまうのは不本意でしょうけど、

きっとまた違う形で復帰できるよね。




運動会に招待して頂き、
来賓席でコッソリ応援したっけ。

母の名前をまさかのマイクで紹介された時には
ビックリしましたが、^^;

運動場全体が響めいたのを覚えています。


皆さん、覚えてくださってたんですね、、


急に居なくなっちゃったから、
母にベッタリだった子も、
きっと不安だっただろうな、。




あの日も泣いたな、

嬉しそうに子供達を眺めながら、
あの子は○○ちゃんで、
この子は○組の○○くん、
興奮しながら教えてくれる母の様子は、


『いつか、またここに戻れる日が来るかもしれない』と


思わせてくれました。




「長い間お疲れさまでした」とは言えなかった。

言いたくなかった。

終わりではないと信じたくて、

「また観に来ようね」と言うのが精一杯だったんです。





2014年11月24日月曜日

半年ぶりの再開。ミラクルママの本領発揮!

10月25日、

何度も延期になった

母の大好きな卓球を、

半年振りに再開しました。




細くなった腕は隠したいのか、
長袖を着ていく母。

少し緊張もしてたよね***




懐かしいピン球の音が聞こえてきて、

カーテンを開けると皆さんが集まって下さって。

きっと世の中で一番元気な世代であろう(笑)母と同年代の
おばちゃん達がやんややんや♪

上履きまで履かせてくれました。笑




皆さん、長い付き合いの卓球仲間。

深く追求はせず、
温かく賑やかに迎えてくださり、
どれだけ有り難かったか、。




さすがに始めて数球はフラフラよちよち、
サーブでさえまともに入らない様子でしたが、
それさえもギャアギャア笑いながら楽しそうで、

娘は、ひたすら角からカメラを回し続けました。




こんなに、夢のような時間が戻ってくるなんて、。

ここへ再び連れて来られた事、
再びラケットを握る事が出来た事、

ご想像通り、一人になった帰り道は泣きっぱなし。笑笑









ERCP入院中も冷え取り続行!

さすがに2〜3日の入院だと、
冷え取り君を持ち込むわけには・・・と踏みとどまりましたが、

靴下はしっかり10枚履かせ、
毒出し帯のマッサージと、

そう・・・

湯たんぽ!


湯たんぽなら何とかなるかもと準備していきました。




靴下をせっせと履かせているところを
看護師さんに見られ(笑)、

どんな反応をされるかとビクビクしましたが、

さすがそこは女性♪

「冷えとり」についても聞いた事がお有りのようで、

少し説明すると目をイキイキさせて聞いてくださいました。笑



そして有り難い事に、

病棟から湯たんぽも借りられるし、
お湯の換えまでして下さると。。


なんてご親切なの、!!;;


お陰で母は初日から湯たんぽを足元に入れて
休む事ができました。

こういう対応、本当に有り難いです、。
こちらは必死ですから。
1日でもお湯に浸かれない日があるのは不安なんです、。




翌日も肩の不快感なし、
どこの不快もなく、母は元気でした。

病院食には「膵臓食Ⅱ」のラベル。
ほぉ〜、どれどれ?

膵臓用に考えられたメニューなのね?と
母より先に蓋を開けて確認しました。笑

うーん。
普通。

逆に、普通過ぎて心配になる量でした。

ご飯もこんなに食べて良いの?
揚げ物もありますけど?
(母によると味もしっかりだったとか。。笑)


ま、ま、☆「何を食べても良い」とは言われているもんね、^^;




微熱は少しあるようでしたが、
散歩もして良いとの事で、早速開始♪

ホテルのテラスのような、
静かなお庭をゆっくり一緒に歩いて、
青空と、綺麗な緑と、小さな可愛いミツバチと鳥の声、
風も心地良く、

「気持ちええな〜」って、

どんだけ平和なの?



のんびり過ごす両親を、
後ろから撮影して姉に送りました。

あの時間は、夢のようだったな〜





2014年11月8日土曜日

ERCPステント交換成功!

腹水を出すためにもらった利尿剤が効き過ぎて、
体重激減、(水分以外にも栄養分も流れ出てしまうんだとか。。)
ラップを巻いたようにツルッツルでパンパンだった足は、
ウソみたいに細くなり、心配になるほどに。。

体重はやっぱり35キロ。。
変動が激し過ぎる、。
2週間前は41キロだったのに。



飲み続けて良いものか、電話確認をするも、
「問題ありません」とのお答え。

でもそこは、冷え取りCharm。

絶対キツいはず、!と、
服用9日目に止めさせました。
(むくみが取れ始めたのは確か4〜5日目くらいから)



案の定、
主治医は「ちょっと強かったかな?」だって。

即点滴でした。

もう勘弁してくださいよ、。





ステント交換が決まって、
色々説明を受けて、
私も父も不安でモヤモヤ、。

もしも癌が進行していたら、
交換できないかもしれないと聞かされていたから。
そしたらどうなるの、?
もうダメなの、??



それでも、
少しでも短い丈のものに替えてもらえると知り、
点滴室の母にすぐに報告に☆

できるだけ大きな声で元気良く、
「良かったやん♪ ショートカット(笑)できるって!♪♪」




不安から守りたい。

この交換で楽になるんだと安心して欲しい。

何も疑わないで、
何も恐がらないで、

どうか母を守って、。






入院病棟はホテルのようで、
可愛い病室に母娘はキャッキャキャッキャ♪笑

南向きのベランダからストンと入ってくる
明るい自然光が、私達を和ませてくれました。


施術着に着替え、再び車椅子で連れて行かれる母を、
一生懸命 笑顔で見送ったっけ、。。







やっぱり、
神様は近くにいらっしゃるようで、
泣き叫ぶ私達の願いを、聞いてくださいました。

母のステント交換はとてもスムーズだったのです。

今回新たにお世話になった主治医には、
「シュッと抜けたし、入れやすかったですよ」と。

ステントが本当に詰まりきってしまうと、
緑色の(どこから出る液体か忘れました^^;)ドロドロしたものが
ステント内に一杯になったりするようですが、
母の場合はそのような事もなく、

管が押し潰されそうな状態であるのを危惧していましたが、
それも難なくクリア。
逆に、胆管とステントの間に少し隙間があるくらいだそう。




新たに入れてもらったステントは、
一代目(笑)の半分の長さに。^^

うまく交換ができたと聞き、
全身の力が抜けそうになったのを覚えています。




麻酔から覚めた母が一言。

「なんか楽やわ〜〜」



主治医は、
ステントの長さで不快感が変わる事はないと言われましたが、
やっぱり物理的な負担があったんじゃないかしら、?



とにかく、母の様子は不思議なくらい元気で、

ビリルビン値も順調に下がり、

開始された病院食もモリモリ・・・^^;

もちろん早速靴下10枚を履かせ、
毒出し帯でマッサージ。^^







今回、主治医に確認した事。

「腫瘍が小さくなれば、いつかステントを外せる」という事。




腫瘍が小さくなれば、それは叶うのです。

でももしも血管へ浸潤している場合は、
ステントを外した前例はないとか。。

母がどちらのタイプかは、半々の可能性、と言われました。




でも、ここでプラスに考えるのが私達でしょう?!

母の腫瘍は必ず小さくなる。

「浸潤」なんてキーワードは一切耳に入れないようにしているので、

この「ステントは外せるんだ」という事だけ、

母に伝えました。



すると母は大変喜んで***

これをずっと願ってきたもんね、

本当によく頑張ってきたもんね、



出てくる言葉はパワーワードばかりで。

今回の施術までのタイミングにも恵まれたし、
また保険も下りるし(笑)、
満床だった個室にうまい具合に入れたし、
ステント一代目はいい子ちゃんだったし、
詰まることなく、スムーズな交換だったし、
何より、不快感から解放された!;∀;

そんな色々を、
母と一緒になぞりながら、繰り返しました。


病室は、病室らしからぬ明るい空気。

ここは旅館ですか? というくらいに。笑


すると母の口から、

「頑張ろう!」と頼もしい言葉が☆

治療開始以来、初めて力の入った声を聞きました。;;





見えない力に守られ過ぎてゾクゾクするような、
不思議な夜。

絶対に、
絶対に、
魔物を追い出してみせる!

癌なんて流し出してしまえばいいんだ。
癌なんて恐くない!





入院は2〜3日ということで、
母を病院に置いて実家へ戻る途中、
早速メールが届きまして。

何て入ったと思います、?



「明日、梨とアイシャドウ持ってきて♪」



!!!!


梨はともかく、
母ちゃんや、
病室でアイメイクする気?!

完全に旅行気分やん!笑



娘はツッコミながらも泣きました。

声に出して泣きながら自宅へ帰りました。



守ってくださって本当にありがとう、

本当にありがとう、!



体が熱くなるのを感じながら、。






*先日のブログエラーは、申し訳ありませんでした。
えーと、結局原因分からず、^^;

閲覧できる方とそうでない方がいらっしゃったようで、。。
また起きるかも??m(_ _)m




2014年11月6日木曜日

半年経過。ついにステント交換。

膵癌よりも注意すべきは、

膵炎や胆管炎。
(最終的に、これが原因となる方が多いのだそうです。)



“ステントが詰まったり外れたりすると、
中で炎症が起き、
腹痛や発熱があります。”



そう説明を受けて、
日々、痛みはないか、それとなく聞き出し、

「何となくチクチクするかな?」
なんて言い出した日にはハラハラし、、

発熱があれば不安で苦しくて。。



それがめんげんなのか、炎症なのかが定かではないため、

いつもビクビクしていました。




高熱が出た翌日はさすがに血液検査でも炎症を示していて、
主治医は
「そろそろ・・・換え時かもしれません」と。


それでも今回の先生には想いが通りやすく、

「今は平熱だし、あと2〜3日、様子を見させてください」なんて・・・。


そんなハラハラを何度繰り返したかしら。。




白血球数値は上がったり下がったり、。
極度の便秘中でもけっこう上がっていたっけ、。




そしてついに、ステント本番がやってきました。


何度目かの発熱。
今回は39℃まで上がって最高記録。

本人はさほどしんどくないようで、
これはめんげんで毒出し中なんじゃないの?
なんて思いながらも、

もうステントも半年経ってるし、
耐久平均期間は2〜3ヶ月と言われているくらいだから、
ここらで換えてもらう方がよいかもね、なんて、
気軽に母も受け入れてくれました。



異変が起きたらいつでも救急!の心構えでいましたが、
検査日にうまい具合に(?笑)発熱したので、
そのまま入院する事に。

旅行先のような、ステント交換入院記に続きます。笑