2014年12月25日木曜日

ボケ防止&免疫力UP!

あの日から、

母を観察。



こんな事したくないけれど、、

発言や行動をまじまじと見てしまう。。





最近TVでよく見る「アイウベー体操」や、

室内で出来る運動(かかとと つま先歩き)を、

毎日一緒にするようになりました。

やれる事はなんでもやる!笑



カモの親子のように、
狭いリビングを連なって歩き回るのです。

「アーイーウーベー」と舌を出しながら、
つま先でチョコチョコ歩き・・・。


なんて不気味な光景でしょう。笑
お隣さんがみたら確実に怪しまれるわ・・・^^;




母には、ふとした時に色んな質問をして、
例えば昨日の晩ご飯の話や、
今日作る予定のおかずの話なんかをチェック。

会話、記憶に問題はないみたい、。

左目の瞼の腫れはまだ引かない様子ですが、
めんげんとも取れるのかなぁ、。

滑舌は少しマシになってきたかしら。。





焦る。

もっと本腰入れて冷えとりして欲しくて、焦る、。

どうか、世の美味しそうなスイーツさん達よ、
母の前では姿をドロンしてください。

良くなったら、ゆっくり味わえるようになるから、
それまではどうか、母の前に現れないで。笑


少しでもおやつを我慢してくれると嬉しくて、
マッサージの手により力が入ります。
今のうちにドドッと排毒して!!と。





不安事は見てみぬふりをし、
一人で泣き、
嬉しい事は一緒にオーバーに喜んで、

毎日を濃密に、前向きに過ごす自分の気力に、
ヒトゴトのように驚く時があります。

どうしてこんなに耐えてられるんだろう、と。




そんな中、また発熱。38度8分。

ほんとうに、何度、覚悟が必要なんでしょう。




2014年12月19日金曜日

これもめんげん、?認知症的言動・・・

先日、母におかしな言動があったと父から聞いて。

これは想定外の衝撃で、。


思いもよらぬ覚悟で、全身、たまらなく不快な電気が走りました。




毎日朝晩、欠かさない仏壇のお参り。

母は仏壇のお鈴を叩かず、
横の線香立てを叩き、
「鳴らへんねん、」と15分以上は叩き続けていたとか。

お箸はチグハグで、1本は鉛筆だったとか(!)。


「どこ叩いてるねん!お鈴はこっちやろ!」

「何で食べてるねん!それ鉛筆やないか!」


まるで吉本のようなツッコミを真剣に、、大声で、、
父がその時どれほどショックだったか、
それを思うだけでも苦しいくるしい、、。



父の呼びかけにまともに答えず、
下を向いてムニャムニャ言うだけ、

食事は2時間以上もかけ、
箸も持ちにくそうに、魚を一生懸命つついていたとか。

滑舌は悪く(元々、吃り屋さんですが。。)、歯切れが悪い。





私が行った頃には、ほぼ普通に戻っていましたが、
やっぱり少し言葉に
曖昧な部分があるかなぁ。。

でも記憶はハッキリしていて、
母なりの言い訳もあって、
「大丈夫大丈夫!」と笑っていましたが。

・・・・。 笑えない、。。





帰宅後一人になると、恐怖で涙が溢れ出して止まらなかった、。

脳への転移、?
若年性認知症、?

まさか、、そうなの、?


神様、どこまで私達をお試しになりたいのですか、?





自宅の仏壇前では、母の事を話す事はありませんでしたが、
この日ばかりは、止まらなかった。


お願い、助けて、母を助けて、

私に母を助ける力を授けてください、

どうかどうか、私に母を助けさせて、!


写真のおばあちゃんと、お義母さんに向かって、
散々泣いてお願いしました。




そんなのないよ、、
そんなのあんまりです、


気のせいでありますように、。


その数日は時間が止まっていて、
料理も出来ませんでした。

サボらせてもらってありがとう、。ごめんね、。






主治医には念のため報告してあります。
痺れや痛みがないせいか、緊急性があるとは判断されていない様子。
暫く、要観察です。。

直前に猛烈な睡魔に襲われていた事も気になる点。。

めんげんでありますように、。



少しずつ、未来を見られるようになってきたのに、
ここへ来て、また大きな幕に覆われてしまいました。




2014年12月17日水曜日

排毒のイメージトレーニング。

(だいぶん追いついてきました。。^^;
日々の色んな想いは綴れていませんが、。)







例えば母の体調記録用のメモ帳を
新しくおろす時も、

食べ物なら、賞味期限やなんかも、

未来を意識する瞬間はどうしても
恐怖が襲ってしまう。


このノートが一杯になるまで、
母は居てくれるだろうか、?

この賞味期限が切れる頃も、
母は居てくれるだろうか、?




以前より、だいぶん先が見えるようになったと思っていましたが、
まだ、クリスマスも恐いし、お正月も恐い。

それでも時間というのはあっという間で、
当初に言われた“時間”を、
もうすぐ超えようとしています。

このまま、時間を母のものにできますように、。




足の浮腫みがまた始まり、
2度目の利尿剤にお世話になりました。

足の幅はいつもの倍はある感じ。

正座はもちろんできません。
(利尿剤を服用して4日目には、夜中のオシッコが8回!)


アルブミンはまだまだ足りないようで、
なんとか腹水が溜まりにくくなるよう、
指圧場所も少し調べ直しました。

お灸は一緒に深呼吸をしてもらうようにして、

私が押すと同時に息を吐き、

「下へ下へ、
体のあちこちの老廃物が背骨を通って、
ウ○○とな〜れ〜〜〜」

てなあやしい掛け声のもと(笑)、

母もあやしく乗せられ(笑)、

「フ〜〜〜〜〜ッ」と深呼吸してくれます。



もちろん自己流。

ただ、イメージトレーニングすることは
とっても良い事だと思うから。^^



体の中の悪いものは出してしまえばいい。
体はいつでもそれを出そうとしてくれているし、
一番出しやすい方法を探しているはずだから。



出して出して。流して流して。

いつも言っています。



今回は1週間ほど利尿剤にお世話になって、
その後、12月に入って少ししてからは飲んでいません。
朝の人参の力もあるのかな?
とにかく、お薬なしで、自分の力で、
浮腫まない身体へ!
本人が、“人参が効いてきてるかも?”と思ってくれるのが
何より嬉しい事です。



足湯から出た直後はマッサージのベストタイミング。

最近はだいぶん浮腫みも引いて柔らかくなってきています。

祈りながら、願いながら、
母の足を念入りにマッサージ。
この時間は、なんだろう、?私も落ち着く感じがします。
マッサージしたり指圧したり、
母に触れて、何かをしてあげられる時間が幸せなのかも。^^


(先日、念のため「血栓」のエコー検査を受けました。
異常がなければ20分程で終わるそうで、
結果はまだ聞いていませんが、
20分で帰ってきたし、きっと大丈夫だったんだよね??)





再び食事の見直し。排毒力を高める朝の絶食「人参ジュース」実践!

なんとかやる気を出してくれた母と、
もう一度練り直し。

共に、やる。

私もやる。

独りでさせたりしないから。




まず、やっぱり食事を減らすということ。

実践中の人参ジュース健康法をもう一度見直し、

書籍も数冊、読み直しました。




『一日一食にすれば、治癒率は95%に上がる。』

このお言葉を胸に。(ご本人に連絡までする勢い。笑)

希望をもういちど立て直し。





人間の排毒時間は決まっていて、
午前中と聞きます。

841さんにも教えて頂きましたが、
膵臓時間は早朝から11時までとか。

この人参ジュースを実践するにあたっても、
排毒時間を意識して続けるほうが効果があるのだそうで。

時間帯は、
■4時〜12時が排泄タイム
■12時〜18時が消化タイム
■18時〜翌朝4時が吸収タイム


この朝の排毒時間に、
きちんと排毒に集中させてあげるという感じでしょうか。

消化活動をさせないよう、
朝ご飯は人参ジュースのみにするという方法。
咀嚼すると胃腸が動いてしまうそうなので、
人参ジュースや、お味噌汁の汁のみ、生姜紅茶など
とにかく飲み物だけで過ごすのが、
特に消化器を患っている場合は良いとのこと。

次に、
昼食はできれば通常の半分の量を、
できるだけゆっくり、しっかり噛んで食べる。
最低でも1回に20〜30回、
消化器を患っている場合は100回がおすすめ!とあって
ちょっとビックリしました。(どなたかの“味の向こう側”を思い出す・・・^^;)

そして夜は、
通常通りしっかり食べる。
(一般的に知られている方法の真逆ですよね)

これで1日1.5食という計算です。

今まで3食だったところを半分にするだけで、
病気の半分が消える。(消す免疫力がついてくる)



もちろんまだ不安はありますが、
もうね、私の中で信じられる、希望を持てる方法は
限られているから。

迷っている時間はありません。




朝はパン派だった母が、
冷えとりを始めて少しずつパンが食べにくくなり、
(冷えとりをすると、体が求める食べ物を欲するようになります。
私はまだまだ変化なしですが、、
体を冷やす代表格、あま〜いものたちを欲さなくなるとか。。
うーん、憧れます。。笑)

ならばと、冷えとりをさらに強化し、
半身浴と毒出し帯、靴下の枚数を増やすなり、
母の食欲がみるみる激減、もちろん体重も激減。

そして病気発覚。

この期間がとても短かったのを覚えています。

冷えとりは病気も知らせてくれるといいますが、
これこそがそうなのかも?と、
あの頃は感謝したものです。


そこから奮闘し、
冷えとりを信じて続け、
西洋医学の最新治療にもお世話になり、
また食欲が戻ってパンも食べたいと思うようになっていたのですが、
(それでも食パンはあまり受け付けないみたい。)
そこをもう一度我慢してみて、。


「朝の果物だけでも・・・」という母に、

「咀嚼することで胃腸が動いてしまうから、
なんとかがんばってみて、。
お昼になれば りんごもみかんも食べて良いから」と。。。




まずは、朝の人参ジュースを徹底的に実践!

午後からの食事まで制限するとあまりに可哀想なので、
焦り過ぎず、本人に悟らせないよう、
少しずつシメて(笑)いこうかと、、はい、。



これまで私が自宅で作って届けていたジュースですが、
鮮度のあるうちにしっかり摂り入れてもらえるよう、
実家で作れる環境にしました。(←2台目 購入、^^;)
両親に使い方も覚えてもらって、
今は毎日、せっせと作って飲んでくれています。
まずは、母2杯、父1杯。^^

毎回、人参とりんごとレモンをまとめて購入して
自宅に持って帰っていたので、
実家で作ってくれるようになってから
だいぶん楽になりました、^^;



朝ジュースは11月29日から開始。

届け、、私達の想い、!!!!




2014年12月9日火曜日

3度目のERCPを終えて・・・注意点と変更点まとめ

ステントが長かろうと、短かろうと、
詰まる時は詰まるし、
詰まらない時は詰まらない。


実に、、ぶつけどころのない、、
受け入れるしかない、、
冷静なお言葉です。^^;




20cm近くあった、
十二指腸まで渡してあった1代目は、
当初「2週間もったら良いほうかな」なんて言われていたのに、
半年も持ちました。@@ 驚


2代目は病院が変わり、
「どうしてこんな長いのが入ってるの?」と聞かれ、

こっちが聞きたいです。。。ってねぇ、^^;笑

そして10cmを仕入れて(笑)いただき、


「これで詰まりにくくなりますよ」
からのひと月でアウト。。
(あの〜、、ものすごーく勝手な希望を申しますと、
医療保険のアレコレがね、、
ステント処置については最低2ヶ月空いてないと下りないのよ〜〜
なんとかその期間くらいは持って欲しいのよ〜〜 ><
っていう・・・
切実な話。爆)



3代目は、
8cmとさらにショートちゃんになりました。

不快感はなく、至って元気です。

入院中の点滴が長過ぎたせいか、
浮腫み出すのが早く、
またものすごい下半身に・・・。
(写真はまたUPします。)

なんとか腹水を出してやりたく、
なんとかアルブミン生成を促したく、
日々の祈りと、手のひらへ集結させた念力治療を、
コツコツ続けています。




そこで。

今回の反省は、どう考えても「食べ過ぎ」でしょう。汗





1代目は食事制限があり、本人は落ち込んでいましたが、
(油もの、乳製品は胆汁を作り出しやすいので注意と。)
振り返ればあの指示通りに控えてきたからこそ、
半年も持ってくれたのでは???

2代目からの食事制限解禁に、開放的になり過ぎたのでは???

他にも、
運動もよし、登山だってしていいよ、なんて
突然解放されたもんだから、
ちょっとフワフワしちゃったよね、私たち、、^^;





4代目に出会うのは、もう少し先にしたいね、と話し合いました。笑





改めて、
今後何に気をつけるべきなのか?

・発熱(38度越え)したら、すぐに病院へ連れて行く

・便の色が白くないか?
(確かにあの日の数日前に少し白いと言っていました、。)

・尿の色が濃くないか?

・腹部に痛みはないか?

・黄疸が出ていないか?
(白目もチェック!)

・肩の重だるさはないか?
(これは消化器のめんげんだと思いますが、
母の場合は腹部の不快感と同時に、肩にも症状が出ているようです。)


特に、発熱と便は要注意です。




そして、今後の改善すべき点は?


・食べ方を変える


もうこれしかない!!!笑




再び制限するの?と寂しげな母を、
悲しませないよう、
なんとか説得しました。

私が今して欲しいこと、
母を想う家族のために、
して欲しいこと、

焦り過ぎてはダメ、
緊迫感が伝わってはダメ、

しれ〜〜っと
いつも通りのスタンスで、
あの手この手、
提案してみました。



さすが、素直な可愛い母。。



食事を改め、
退院後から娘の提案を聞き入れてくれました。涙





2014年12月8日月曜日

ふりだし、? ひと月で緊急ERCP

発熱は、癌などの悪いものを流してくれる
“めんげん”だと捉えたい。

だから、
38度を超えても、
そこまでバタバタしない、

発熱には意味があるから。




そう、
冷えとりをすると、
発熱も喜んでしまう傾向あり・・・・

今回それを、足元から見直し反省したCharm。
(いえ、まぁ、中では毒出ししてくれてたんでしょうけど。。)




今の主治医には「何を食べても良い」と言われたので、
すっかり元気を取り戻した母(笑)は、
私の誕生日にも一緒にケーキをツマミツマミ。。

その夜に38℃の発熱。


「やっぱり食べ過ぎたんじゃない、?
でもすぐに反応出るなら助かるね、
気をつけて!って体が言ってるんやわ」

そんな暢気な事を言っていた数日後、
またもや発熱。

通院日だったのでちょうど良いね、と診察していただいたら、




まさかの・・・




「今日入院してもらいます。
数値でも炎症を指しているし、
ビリルビンも上がっています。
ちょっと早いけど、2度目のステント交換しておきましょう。
早い方が良いから。
詰まる時は詰まるし、詰まらない時は詰まらない。
あまり考えても仕方がないので、ここは急ぎましょう。」


と、、
以前より緊迫した主治医の口調、。


胸騒ぎをごまかしていた私は、
またもや吐きそうに・・・。




でもでもでも!
ほら!
またタイミング良かったやん!!
部屋はこの前より良いところやし!
また見晴らし良いよ♪

そんな必死の励ましで、
ガックリきていた母をなんとか持ち上げ、

診察室を出る直前にコッソリ見せてもらった
腫瘍マーカー値に、



私の胸は、


とうとう、、


倒壊、。



ここへ来た当初の数値に逆戻り、
また悪化しているの、、?
せっかく頑張っているのに。
調子だって良いのに、。



どうしてどうしてどうして、、



呼吸がうまくいかないまま、
母の処置準備は進み、
その間、放心状態。



幸い、今回も交換はうまくいき、
本当にホッとしましたが、
胸につかえるあの数字が、
この日から私を毎日苦しめてます。



恐くてならない、

恐い、。

それしか出て来ない。



主治医は、
「2〜3日遅かったら手遅れになっていたかもしれませんよ、」と。



そう、ステントを必要とする患者さんの多くが
腫瘍よりも、管内の炎症によって亡くなられているという事実。
バイ菌が全身に渡ってしまうと手遅れなんだそうです、。

忘れてはならない。

この病気の裏にいつも潜む、
厳しい現実を。



せっかく短くしてもらったのに。

詰まりにくくしてもらったのに。

どうしてなの、?

そんな事をグルグルぐるぐる・・・。






今回も、母は至って元気。
何も知らない母が一番元気。^^;

見晴らしの良い、
日当りの良い一室で、
2度目の入院生活はすっかり慣れたもので、

あれやこれやと要るものリクエストを聞き、
明るく数日を過ごしましたとさ・・・。


でも今回も週末だったため
入院中 主治医はおらず、
前回より点滴が多かったのも気になりました。

膵炎防止の抗生物質を、念のためとはいえど、
退院の前日まで4日間たっぷり投与されました。

前回よりも緊迫してる感が否めない、、

素人には何が起きているのか、サッパリ分からない、。



でも、救いなのは、
主治医がとても冷静で落ち着いておられるところです。

私の質問にもしっかり答えてくださいました。

「マーカー値は確かに悪化していますが、
2度同じデータが出たら信用しても良いでしょう。
たまたま上がるという事もありますからね」と。

1月にまたPET・CTを撮ってみましょう、と。



お陰で少し落ち着いた父と私、。
先生が、来年の話を普通に出して下さるのが嬉しかった、、
1月も母は居るんだと、まだ検査できているんだと、
見えない未来が少し目に映るようで、嬉しいのです。




次回の腫瘍マーカー結果は果たしてどうなのか、。

数値は、簡単に言うと、癌の大きさを示すものだとか。

膵臓が悪化していないにも関わらず、数値が上がっている場合は、
“転移”が考えられる と。

またよぎる、右肺の影。




お願いおねがいおねがいおねがい、、

母を助けて、

おじいちゃん、大丈夫だよね、?助けてね、、




今回はまいりました、。
近くで毎日見ていてハッキリと分かるくらいに、
母の様子は良くなっていたし、モチベーションも上がっていたし、
少しずつ自信をつけていた矢先だったので、

どうして、、の想いが拭えず、

泣きました。

恐ろしくて、悲しくて、

今回は思いっきり泣いてやりました。笑






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2014年11月30日日曜日

病人じゃナイ!

6回目のバドミントンでは
ようやく母の手先が温かくなり始め、
代謝が上がってきていると喜んでいました。



4月のあの日から、
家ではずっとパジャマで過ごしていましたが、

「まぁ病人ちゃうしな☆」なんて、

耳を疑うような頼もしい発言も!笑


きちんと着替えるようになり、
メイクするようになった日には、

勤務しなくなった事を除けば、
これまでと変わらない毎日じゃない?なんて、

2人で「すごいよね♪ミラクルよね♪」って笑い合ったり。


「自分の免疫力で治す!」と言ってくれたし、
もう大丈夫だと思いました。
腫瘍マーカーもどんどん下がってきているし、
これからどんどん良くなるものだと。


あの発熱までは。





2014年11月29日土曜日

リハビリを超える??末期ガンでもスポーツやってます!

ステント交換後の母は本当に元気で、
不快感もないまま、
とても好調に過ごしました。


家事も大分こなせるようになったので、
2軒分の家事に走り回っていた頃を思えば
私も本当に楽になりました。




お天気の良い午後は、
散歩するようになり、
卓球の次は 近くの公園でバドミントンも♪


ウソでしょう??? です。


ギャーギャー言いながら、
小学校帰りの子供達が公園に遊びに来るまでの時間を
オバチャン2人が独占。笑


走り回る事はまだ出来ませんが、
初回に比べて大分動けるようになりました。

「ほっ!よっ!!いいね!!
 ナイス!!ナーーイス!! ぎゃーーー!!!」

まぁ騒々しい。。。笑


ほんと、ウソでしょう???

私だっていつ振りよ??
私だって昨年の夏はまだ寝込んでたんだよ??笑




秋の高い空に見守られながら、
小一時間外で遊び、
「あ〜楽しかった!」と子供のようにはしゃぐ私達。

この歳になって、
こんな風に母と時間を過ごす事になるなんて
想像もしていませんでしたね、。笑





長男の嫁らしく、ずっと気がかりだったらしいお墓参りも、
もう何度行ったかしら。

最初は少しの遠出も心配で、
後部座席でずっとマッサージしていました。

今も、お墓参りの行き帰りはマッサージがお決まり。

足の浮腫みが心配で、
何かしら触れていないと気が済まないのです。(私が。笑)


お墓参りを済ませたら
静かな港町でお弁当を食べ、
広場でまた出たバドミントン。笑


ええ歳の親子3人が原っぱでバドミントンですよ。
なんて微笑ましい光景でしょう。笑





『どんどん良くなっていってる!大丈夫!』と


強気でいられる時間でした。





卒業とその先

勤務先を退職したのは7月だったか、

ベテランを過ぎて、
卒園児の子供の代まで見てきました母、

こんなにあっけなく終わってしまうのは不本意でしょうけど、

きっとまた違う形で復帰できるよね。




運動会に招待して頂き、
来賓席でコッソリ応援したっけ。

母の名前をまさかのマイクで紹介された時には
ビックリしましたが、^^;

運動場全体が響めいたのを覚えています。


皆さん、覚えてくださってたんですね、、


急に居なくなっちゃったから、
母にベッタリだった子も、
きっと不安だっただろうな、。




あの日も泣いたな、

嬉しそうに子供達を眺めながら、
あの子は○○ちゃんで、
この子は○組の○○くん、
興奮しながら教えてくれる母の様子は、


『いつか、またここに戻れる日が来るかもしれない』と


思わせてくれました。




「長い間お疲れさまでした」とは言えなかった。

言いたくなかった。

終わりではないと信じたくて、

「また観に来ようね」と言うのが精一杯だったんです。





2014年11月24日月曜日

半年ぶりの再開。ミラクルママの本領発揮!

10月25日、

何度も延期になった

母の大好きな卓球を、

半年振りに再開しました。




細くなった腕は隠したいのか、
長袖を着ていく母。

少し緊張もしてたよね***




懐かしいピン球の音が聞こえてきて、

カーテンを開けると皆さんが集まって下さって。

きっと世の中で一番元気な世代であろう(笑)母と同年代の
おばちゃん達がやんややんや♪

上履きまで履かせてくれました。笑




皆さん、長い付き合いの卓球仲間。

深く追求はせず、
温かく賑やかに迎えてくださり、
どれだけ有り難かったか、。




さすがに始めて数球はフラフラよちよち、
サーブでさえまともに入らない様子でしたが、
それさえもギャアギャア笑いながら楽しそうで、

娘は、ひたすら角からカメラを回し続けました。




こんなに、夢のような時間が戻ってくるなんて、。

ここへ再び連れて来られた事、
再びラケットを握る事が出来た事、

ご想像通り、一人になった帰り道は泣きっぱなし。笑笑









ERCP入院中も冷え取り続行!

さすがに2〜3日の入院だと、
冷え取り君を持ち込むわけには・・・と踏みとどまりましたが、

靴下はしっかり10枚履かせ、
毒出し帯のマッサージと、

そう・・・

湯たんぽ!


湯たんぽなら何とかなるかもと準備していきました。




靴下をせっせと履かせているところを
看護師さんに見られ(笑)、

どんな反応をされるかとビクビクしましたが、

さすがそこは女性♪

「冷えとり」についても聞いた事がお有りのようで、

少し説明すると目をイキイキさせて聞いてくださいました。笑



そして有り難い事に、

病棟から湯たんぽも借りられるし、
お湯の換えまでして下さると。。


なんてご親切なの、!!;;


お陰で母は初日から湯たんぽを足元に入れて
休む事ができました。

こういう対応、本当に有り難いです、。
こちらは必死ですから。
1日でもお湯に浸かれない日があるのは不安なんです、。




翌日も肩の不快感なし、
どこの不快もなく、母は元気でした。

病院食には「膵臓食Ⅱ」のラベル。
ほぉ〜、どれどれ?

膵臓用に考えられたメニューなのね?と
母より先に蓋を開けて確認しました。笑

うーん。
普通。

逆に、普通過ぎて心配になる量でした。

ご飯もこんなに食べて良いの?
揚げ物もありますけど?
(母によると味もしっかりだったとか。。笑)


ま、ま、☆「何を食べても良い」とは言われているもんね、^^;




微熱は少しあるようでしたが、
散歩もして良いとの事で、早速開始♪

ホテルのテラスのような、
静かなお庭をゆっくり一緒に歩いて、
青空と、綺麗な緑と、小さな可愛いミツバチと鳥の声、
風も心地良く、

「気持ちええな〜」って、

どんだけ平和なの?



のんびり過ごす両親を、
後ろから撮影して姉に送りました。

あの時間は、夢のようだったな〜





2014年11月8日土曜日

ERCPステント交換成功!

腹水を出すためにもらった利尿剤が効き過ぎて、
体重激減、(水分以外にも栄養分も流れ出てしまうんだとか。。)
ラップを巻いたようにツルッツルでパンパンだった足は、
ウソみたいに細くなり、心配になるほどに。。

体重はやっぱり35キロ。。
変動が激し過ぎる、。
2週間前は41キロだったのに。



飲み続けて良いものか、電話確認をするも、
「問題ありません」とのお答え。

でもそこは、冷え取りCharm。

絶対キツいはず、!と、
服用9日目に止めさせました。
(むくみが取れ始めたのは確か4〜5日目くらいから)



案の定、
主治医は「ちょっと強かったかな?」だって。

即点滴でした。

もう勘弁してくださいよ、。





ステント交換が決まって、
色々説明を受けて、
私も父も不安でモヤモヤ、。

もしも癌が進行していたら、
交換できないかもしれないと聞かされていたから。
そしたらどうなるの、?
もうダメなの、??



それでも、
少しでも短い丈のものに替えてもらえると知り、
点滴室の母にすぐに報告に☆

できるだけ大きな声で元気良く、
「良かったやん♪ ショートカット(笑)できるって!♪♪」




不安から守りたい。

この交換で楽になるんだと安心して欲しい。

何も疑わないで、
何も恐がらないで、

どうか母を守って、。






入院病棟はホテルのようで、
可愛い病室に母娘はキャッキャキャッキャ♪笑

南向きのベランダからストンと入ってくる
明るい自然光が、私達を和ませてくれました。


施術着に着替え、再び車椅子で連れて行かれる母を、
一生懸命 笑顔で見送ったっけ、。。







やっぱり、
神様は近くにいらっしゃるようで、
泣き叫ぶ私達の願いを、聞いてくださいました。

母のステント交換はとてもスムーズだったのです。

今回新たにお世話になった主治医には、
「シュッと抜けたし、入れやすかったですよ」と。

ステントが本当に詰まりきってしまうと、
緑色の(どこから出る液体か忘れました^^;)ドロドロしたものが
ステント内に一杯になったりするようですが、
母の場合はそのような事もなく、

管が押し潰されそうな状態であるのを危惧していましたが、
それも難なくクリア。
逆に、胆管とステントの間に少し隙間があるくらいだそう。




新たに入れてもらったステントは、
一代目(笑)の半分の長さに。^^

うまく交換ができたと聞き、
全身の力が抜けそうになったのを覚えています。




麻酔から覚めた母が一言。

「なんか楽やわ〜〜」



主治医は、
ステントの長さで不快感が変わる事はないと言われましたが、
やっぱり物理的な負担があったんじゃないかしら、?



とにかく、母の様子は不思議なくらい元気で、

ビリルビン値も順調に下がり、

開始された病院食もモリモリ・・・^^;

もちろん早速靴下10枚を履かせ、
毒出し帯でマッサージ。^^







今回、主治医に確認した事。

「腫瘍が小さくなれば、いつかステントを外せる」という事。




腫瘍が小さくなれば、それは叶うのです。

でももしも血管へ浸潤している場合は、
ステントを外した前例はないとか。。

母がどちらのタイプかは、半々の可能性、と言われました。




でも、ここでプラスに考えるのが私達でしょう?!

母の腫瘍は必ず小さくなる。

「浸潤」なんてキーワードは一切耳に入れないようにしているので、

この「ステントは外せるんだ」という事だけ、

母に伝えました。



すると母は大変喜んで***

これをずっと願ってきたもんね、

本当によく頑張ってきたもんね、



出てくる言葉はパワーワードばかりで。

今回の施術までのタイミングにも恵まれたし、
また保険も下りるし(笑)、
満床だった個室にうまい具合に入れたし、
ステント一代目はいい子ちゃんだったし、
詰まることなく、スムーズな交換だったし、
何より、不快感から解放された!;∀;

そんな色々を、
母と一緒になぞりながら、繰り返しました。


病室は、病室らしからぬ明るい空気。

ここは旅館ですか? というくらいに。笑


すると母の口から、

「頑張ろう!」と頼もしい言葉が☆

治療開始以来、初めて力の入った声を聞きました。;;





見えない力に守られ過ぎてゾクゾクするような、
不思議な夜。

絶対に、
絶対に、
魔物を追い出してみせる!

癌なんて流し出してしまえばいいんだ。
癌なんて恐くない!





入院は2〜3日ということで、
母を病院に置いて実家へ戻る途中、
早速メールが届きまして。

何て入ったと思います、?



「明日、梨とアイシャドウ持ってきて♪」



!!!!


梨はともかく、
母ちゃんや、
病室でアイメイクする気?!

完全に旅行気分やん!笑



娘はツッコミながらも泣きました。

声に出して泣きながら自宅へ帰りました。



守ってくださって本当にありがとう、

本当にありがとう、!



体が熱くなるのを感じながら、。






*先日のブログエラーは、申し訳ありませんでした。
えーと、結局原因分からず、^^;

閲覧できる方とそうでない方がいらっしゃったようで、。。
また起きるかも??m(_ _)m




2014年11月6日木曜日

半年経過。ついにステント交換。

膵癌よりも注意すべきは、

膵炎や胆管炎。
(最終的に、これが原因となる方が多いのだそうです。)



“ステントが詰まったり外れたりすると、
中で炎症が起き、
腹痛や発熱があります。”



そう説明を受けて、
日々、痛みはないか、それとなく聞き出し、

「何となくチクチクするかな?」
なんて言い出した日にはハラハラし、、

発熱があれば不安で苦しくて。。



それがめんげんなのか、炎症なのかが定かではないため、

いつもビクビクしていました。




高熱が出た翌日はさすがに血液検査でも炎症を示していて、
主治医は
「そろそろ・・・換え時かもしれません」と。


それでも今回の先生には想いが通りやすく、

「今は平熱だし、あと2〜3日、様子を見させてください」なんて・・・。


そんなハラハラを何度繰り返したかしら。。




白血球数値は上がったり下がったり、。
極度の便秘中でもけっこう上がっていたっけ、。




そしてついに、ステント本番がやってきました。


何度目かの発熱。
今回は39℃まで上がって最高記録。

本人はさほどしんどくないようで、
これはめんげんで毒出し中なんじゃないの?
なんて思いながらも、

もうステントも半年経ってるし、
耐久平均期間は2〜3ヶ月と言われているくらいだから、
ここらで換えてもらう方がよいかもね、なんて、
気軽に母も受け入れてくれました。



異変が起きたらいつでも救急!の心構えでいましたが、
検査日にうまい具合に(?笑)発熱したので、
そのまま入院する事に。

旅行先のような、ステント交換入院記に続きます。笑



2014年10月26日日曜日

PET検査に映らなかったものは・・・マーカー値に希望!

3時間もかけて入った検査を全て信用するなら、
確かにあの影は恐ろしく、
呼吸が苦しくなりますが、

でもねでもね、

PET検査では、
目立った高集積は見られない、と。

膵臓でさえ、光っていないのです。



そもそも、PET検査というのは、?

癌細胞が多く取り込むとされる、ブドウ糖を利用した検査方法です。
ブドウ糖が癌細胞に集まるため、初期の小さな癌細胞であっても
早期発見が期待できるのだとか。
(それだけ癌細胞が好むという事だから、検査といえどあまり入れて欲しくないですが。。^^;)

検査前にブドウ糖を注射し、
全身に行き渡るよう、確か50分くらいは安静に。
音楽も読書もダメ、
アレコレ考えて頭を使うのも、
ブドウ糖が頭に偏ってしまうからダメ、
ただボーーーっとしておいて、

という、吹き出しそうな条件の元、^^;
不安なまま行われました。。



結果に表れなかったブドウ糖の集積。

横たわった母の全身映像を見てみると、
確かに、、どこも光って映っていないのです。
(結果表には、膵臓癌は光りにくいと書かれてありましたが。)

えーと、、
でも母の膵臓は末期のステージⅣの癌なんでしょう、?




そしてもう一つ。

母の腫瘍マーカー値は、
この半年弱で大きく変化しているのです。


膵臓癌の腫瘍マーカーは、
大きく2つ。

・DUPAN-2
・SPan-1

合わせてその他のマーカー値も見てもらっていますが、
他は正常値。

Span-1については、
9月の地点で20分の1にまで下がり、「正常値」に!

DUPAN-2も、
当初、枠外くらいのレベルだったのが、
ぐんぐん下がって来てくれています。


す、、すごくない??!

これってすごくないですか、?!!@@、





後で確認してみると、
CT映像には、死火山である癌細胞も映るのだとか。
(癌細胞は活動しなくなると硬くなり、すぐに消えるものではないのだそう。)
一番重要なのは腫瘍マーカー値だと言われました。




じゃあ、、
絶対大丈夫、
絶対大丈夫、!


あぁ、神様仏様ご先祖様に心友ちゃん、
ここで応援してくださっている皆さま、、!

娘Charmは、色んな人達に感謝を告げ、
号泣しながら帰宅しました。笑




信じて信じて。
絶対に諦めないで。

もしも峠を宣告されるその日が来たとしても、
最後まで絶対に諦めない。

そう、改めて誓いました。



2014年10月18日土曜日

CT検査に映ったものは・・・

PET・CT検査にハッキリと映ってしまった
母の“腹水”。

まだ酷くはないそうですが、
全身がポチャポチャと水っぽくなっているとか、。

体重が増えたと喜んでいたのは
浮腫みだったのか、、

腹水もめんげんなんじゃないの?とか、
膵臓が今毒出しで腎臓を攻撃してるんだよ、とか
色んな情報に何とかしがみついていたのに。




そして、
血の気が引く「転移」の文字。

まだ疑い有りというだけで
ハッキリと映ったわけではないですが、
右肺の下に映る小さなポチ。

恐怖で瞼が腫れるような感覚、。




そしてこの結果は決して母に知らせるまいと、
娘はまた、前もって医師達を集め、

「分かってるよね?話して良いのはここまでだからね!
アレとコレは絶対に絶対に言っちゃダメだからね!」

な台本を配りに走ったとさ。笑


お陰で何も知らない母が、一番元気でしたとさ。笑笑
(あ、でも希望の記事続きます。^^)




2014年10月16日木曜日

浮腫みと腹水/瞑眩(めんげん)症状

恐らく、母の気力はものすごいもので、
本当だったら今頃もう寝たきりなんじゃないかと
思う診断だったにも関わらず、

以前より行動的で元気!



無理・・もしてるんでしょうけど、。



晩ご飯の準備も、最近は全部私がする必要はなく、
母が作りたいものを、自由に作り始めるようになりました。

買い物だって一緒に行くし、

洗濯物だって、体調の良い日は
私が着くまでに完了していたりします。



母の強靭なパワーに、
こちらが励まされています。



そんな中、新たに始まっためんげん(?)は、
浮腫み。



これまで、足湯を何時間しようと浮腫むことはありませんでしたが、
8月の終わり頃からだったか、
右側が特に浮腫むようになり、

最初は足の甲、

足首

ふくらはぎ

太もも裏

尾骶骨の上辺り

性器


こんな感じでどんどん、
浮腫みが上に上がってきました。


足はもうパンパンで正座ができないほど。

太もも裏には拳大以上の大きな塊が。。

横から見たら、もう一つお尻がある感じ。。


足湯し続けるのも困難で、
1時間置きに出しては、
リンパマッサージを試みてみるも効果はさほどなく、。


これがめんげんだったら良いのですが、
色々調べてみると
受け入れがたいキーワードにぶち当たります、。


『腹水』です。


また血の気が引く感覚、。


腹水がもつ意味を、
素人なりに理解しているつもりだから。




そして、やっぱり現実はやってくるのです。。



2014年10月13日月曜日

便秘もめんげん?/瞑眩(めんげん)症状

母の元へ向かいながら、
これまで何度言い聞かせ続けたでしょうか。



「今日もお母さんは絶対に良くなってる!」



大声で。笑



往復合わせたら、
3000回は軽く超えてるだろうな、なんて
しょうもない事を考えていました。






さて、これも事後報告ですが。。

癌治療のための人参ジュースを始めて2週間くらいしてからだったか、
それなりに快調だった母の便通がピタリと止まりまして。。

2日、

3日、

4日目にはもう本人もイライラ・・・


こんなに酷い便秘は初めて!!と、
かなり苦しみました。TT


私も、きっとこの先、
あんなに母の肛門をマッサージする事はないでしょう。ぷ

温めては揉んで、温めては揉んで、の繰り返し。

しまいには座る事すらしんどくなって、
食欲もなくなるし、
どんどん衰弱していくようで不安でした、。






通院日にお薬を出して貰って、
2回くらい飲んだらスッキリしてくれまして、、;;



そこからはね、
ビックリするくらい快便でございます。笑
(お薬はもう飲んでいません。^^)




調べてみるとビックリ!便秘もめんげん。

ちょうど、人参ジュースを飲み始めて便秘になったという
体験談がいくつかあがっていて、

ほぉ〜〜!!!!



身体って本当に不思議!




2014年10月5日日曜日

肩凝りは消化器の毒出し/瞑眩(めんげん)症状

急激に痩せたせいか、
肩のラインが痛々しく、

暫く、骨が当たって眠れないと言っていた母ですが、

どうやら起きている時も重だるく、
ズシーンと何かが乗っているような、
要するに“肩凝りに似た感じ”だと言うので、

あぁ、それは瞑眩(めんげん)かもしれないよ?と。
(もちろん骨が当たって痛いのもあるでしょうけど、;;)



冷えとりでは、
肩凝りは「消化器の毒出し」と言われています。

そして瞑眩には、
部位はもちろん
体の左右にも意味があるそうで、

・体の右側に出るのは、体の奥の冷え=古い瞑眩
・体の左型に出るのは、新しい瞑眩

と教えて頂きました。



母の場合、右よりも左側の方がキツイというので、
もしかしたらこの前の化学治療の冷えが出てるのかも
しれないよ?と。
(「そっか♪(母)」と、まぁほんとに素直!笑)



この肩の重さは、
日によって違うようで、
重ダルイ日はやっぱり元気がありません。
私の素人指圧で、少しマシにはなるようですが。。

そしていつもの毒出し帯でマッサージ。
首から肩にかけて、ゆっくりゆっくり♪




退院後はずっと肩の痛みがあったのに、
最近はだいぶん楽になってきているとか♪

早く出きってくれたらいいな〜、。




日々表れる色んな瞑眩や、現状を記したいのですが、
なかなか追いつかず、、^^;


まずは、過去日記から上げていきたいと思います。><





2014年9月17日水曜日

ついに!

世間がGW真っ只中だった頃、
息を潜めて過ごしたあの日達が、もう随分前のように感じます。

宣告の“数ヶ月”というのは幅が有り過ぎて、
3ヶ月なのか、半年なのか、それ以上なのか、?

しんどそうに横たわる
薄っぺらくなった母の体を見ては、胸が抉られるようでした。



ですが、
春を越え、夏が過ぎ、もう秋です。
2シーズンも越えられたなんて、
本当に信じられない、。




毎日母と一緒に居ます。
できれば夜も横で眠りたいけれど、。

大雨が降ろうが、雷が鳴ろうが、
(実際はなんだかんだ言って、私が実家へ向かうタイミングには
止んでいたりして♪有りがたや〜^^*)
あの日から毎日一緒に過ごしています。

一日でも離れると、
エネルギーを注入できないから。

母のモチベーションがフと萎れてしまうんじゃないかと不安で、
離れられないのです。

母にベッタリ。。

どうなるんでしょう、、新婚のくせにこんな私、。
くるしい、。





でもね、
こうして毎日傍にいる事が、
何か大きなものと私たちを繋げてくれるような気がして、

今となっては見えないものが支えだし、
見えないものを信じるしかない状態、。





母の体の中が今どうなっているかは、
誰にも分かりません。(次のCT検査が恐い、、)

でも、確実に、
そう、確実に元気になっている、よね、?






最近はスーパーに買い物に行っても
大分、休憩時間が減りました。

この前なんて、
主婦のエネルギー源である「セール品」(笑)を取りに行くべく、

かの名シーン『クララが立った!』に匹敵する

『小走り2m(笑)』を見せてくれました!


か弱くて危なっかしくてちょっと不自然で、
一緒に笑ったりしたけど、

娘は感動して泣きそうだったよ、、;;






少しずつ少しずつ、
色んな事ができるようになっていって、
そのどんな小さな変化も見逃さず、
一緒に喜んで、一緒に生きていきたい、

そう思っています。




2014年9月11日木曜日

IMRT+TS-1 の副作用は?

平日5日は続けて、IMRTを毎日20分照射、
抗がん剤のTS−1もセットで服用。
土日はお休み。

これを28回分繰り返しました。

相当強い線量のようで、
初回から徐々に上がって行く数値にハラハラしましたね、、


看護師さんとの交換日記のような日々のチェック表も、
後半になるにつれて「あと少しですね!」なんて書かれると

あぁ、!ついにゴールが見えてきた!!と、
期待と不安で落ち着きませんでした。




母の場合、
副作用はまだ軽い方だったのかもしれません。

照射期間中の嘔吐や下痢もなく、
倦怠感や睡眠不足はあるものの、これは照射前からだし、
下を見ず、コツコツと日々を過ごしてくれたせいか、
メンタルもそこまでダメージを受けることなく
乗り切ってくれました。

血液検査数値に顕著に現れたのは、
白血球の減少、つまり“免疫力の低下”くらいでしょうか。


マスク着用で、帰ったらすぐに手洗いうがい。
バナナジュースも毎日飲んでくれたお陰か(?)
白血球も下がり過ぎず、
私達もホッとしました。


手の爪なんかは照射によって変色すると説明がありましたが、
特に変化もなく?

代わりに(?)足先と手先に、
シミのようなポツポツが出始めました。
足指の間はくすんで陰ができたような感じに。

ですがそれも、今は大分薄くなってきています。^^

照射ポイント(お腹)に大きく書かれた印も、
ゴシゴシ擦ることなく自然に任せてだいぶん取れてきました。
(早く取りたい場合は、メイク落としを使うと良いんだそうです)




しわしわになった母のお腹を撫でて、
再びパワーチャージ。

現在は経過観察中で、
抗がん剤も飲んでいません。

これまで胃もたれをケアするお薬も出してもらっていましたが、
特に楽になるわけでもないし、
お薬であまり冷えを溜めたくないので、
やんわり拒んだらあっさりOKがでまして。笑
もっと早くに言えば良かった、、


今は、胆管の流れを良くするお薬のみ、服用しています。

西洋医学治療はできるだけシンプルな方法で、
今は冷えとり最優先で頑張ってくれています。^^




2014年9月6日土曜日

IMRT照射効果は2〜3ヶ月後・・・

自宅の家事を適当に(笑)済ませて、
母の元へ走り、
顔を見てホッ。

実家の家事をしながら、
母へのマッサージ。

この時はまだ通院前に一度横になるようにしていたので、
母が眠っている間に家事の続きと、
通院に持参するお弁当作り。
(といっても自宅から持って来た残り物とか。笑)




毎日、
写真の祖父と 父方の祖母に「行って来ます」と挨拶し、
すっかり私たちの守り神となっている布袋さんをナデナデ、
最後に、頂いたお守りに手を当てて、いざ病院へ。

大袈裟なくらい、お祈りしていました。

「今日もしっかり(放射線が)当たってくれますように」と。




かと思いきや、、
行き道で見つけた「○ンサムロード(!)」に、
ええ大人が3人で「いやっほ〜〜〜い!」なんて叫んでるから
困ったものです。(しかも毎日。爆)
お父さん、、手前からちょっとスピード上げてるし。。^^;


雨の日や、日差しがきつ過ぎる日は病院入り口で止めてもらい、
風が心地良い日は駐車場からゆっくり一緒に歩いたっけ。

その間に目に入ってくる新緑や、可憐な花を見つけては
母と一緒に自然を感じていました。
スズメやアリ達でさえも、今は応援してくれているようで、
みんな、頑張って生きている。
可愛いね、すごいよね、って、地面を見ては命探ししたりして。




すっかり慣れた受付けから診察までをチャキチャキこなし、

20分の照射タイム。
順番がまわってくるギリギリまで、
指圧&手のひらパワーチャージ。
周りの目なんて気にしない。笑

母を見送ったら、
今晩のおかずを考え、
調べものなどをゴソゴソしつつ、
貴重な仮眠をば。


20分後母が戻ってきたら、
1杯のお水と共にロッカーまで迎えに行って、
しんどそうにする母の気分をどうにか紛らわせようと
弾丸トーク。。(え、逆に鬱陶しい?笑)




お昼を持って行くようになってから、
それが楽しみになったのか
よく食べてくれるようになって、
口数が増えたのもこの頃からだったでしょうか。
そうそう、食後のTS−1も忘れずに持参。




帰りに、
久しぶりにいつものスーパーで一緒に買い物が出来た時は
内心、泣きました。

こんな日がまた来るなんてね。;;

あーだこーだ言いながら、
休み休み、商品を吟味し、幸せな時間。

小さくなった母の背中を見ながら、
何度、神様に御礼を言っただろう、、。





帰宅後はすぐにバナナジュースを作り、
「今日もがんばった!うん!おつかれさ〜ん!」
と免疫UPを願って乾杯。笑

少しゆっくりした後は、
じっくりケアタイム。

照射後の体をできるだけ毒出し帯で摩り、
一カ所一カ所丁寧にビワ温灸。

そうこうしているうちに良い時間になって、、
夕飯準備も同時に開始!
メモも挟んでよーし完了。


夕方また横になっている母に、

「じゃあまた明日ね〜」と手を握り、

後ろ髪引かれながら、自宅の夕飯準備へとダッシュで帰宅。






そんな日を、
夏の始めのひと月は毎日繰り返しました。

さすがにクタクタでした、、^^;

毎日、未来を恐れて、
毎日、今に感謝して、

心が落ち着く暇がなかった、。
目の前にいる母を守る事で精一杯。



あれから早や2ヶ月が経とうとしています。
IMRTの効果がそろそろ出始める頃、?

色素沈着したお腹の照射部分が、
だいぶん綺麗になってきました。

皮膚も生まれ変わっている。
これも治癒力。

爪が伸びるのも、
髪が伸びるのも、

生きている証拠だね、って
一緒に噛み締めています。^^



どうか、効果が現れてくれますように。
母の気力を押し上げる結果が待っていますように。





2014年9月2日火曜日

バキュームCharm!

もうきっと、
4月28日以前の自分には戻れないだろうと思います。



もともと物欲がないとは言っても、
年に数回くらいは自分のために買い物もしていたし、
あの服可愛いな〜♪くらいの健全な欲はあったかと。

でも今は、正直何も要らないし、
好きだったネイルも、ブログ巡りも、目に入らなくなって。
副作用で悪化していたお肌のケアなんかも
大したことではなくなっていて。

色んな事が、
これまでのフィールドだから出来ていた事なんだと
改めて感じます。


いえ、これが悲しいね、って言っているわけではないんです。

今は生きる目的があまりに明確で、
これが一番自分らしい生き方だと思うから。^^





母に毎日触れていたいし(手のひらパワーチャージ!笑)、
話して笑ってご飯を食べて、
とにかく、母という存在が愛しくて仕方ない!



母を不安が襲うその時、どうか一人ではありませんように。
隣に私が居ますように。

今なら、母を持ち上げる自信があるから。

小さな不安も小言も、
一つ一つじっくり話をして、

よく考えて、よくよく振り返ってみて、
ほらね、
宇宙空間だった膵臓も座りよくなってきてるでしょ、
前まではそんなにシャンと背筋伸ばして歩く事も出来なかったやん?
今は大分歩けてるよ♪看護師さんにも驚かれたし!
食欲だって全然違うし、
よ〜喋る!笑
背中の痛みだって今はないでしょ?


何度も何度も。
数日経ってまた同じような不安をぶつけられたら、
また一からなぞって何度も何度も言い聞かせます。


不安な症状は小さく一緒に頷き、
嬉しい変化は何倍もオーバーに一緒に喜ぶ。

顔色が悪い日でも、
声が小さい日でも、

私が行くといつの間にか元の母に戻っています。




全身バキュームのごとく(笑)、
母の不安を吸い上げる自信が今の私にはあるから。


そして吸い取られた(笑)母は、
ちゃーんと元気になってくれるから。


きっとこれは私の役目なんだって自惚れていよう。笑


必ず助けてみせる。
必ず守り抜いてみせる。




私の覚悟は今自分でもビックリするくらい
ムクムクと急成長中!

自惚れMAX!
私次第なんじゃないか、って。
私が諦めなければ、絶対に大丈夫なんじゃないか、って。

本気で感じているんです。



見えない力、
それを支える体力を、

どうか、
どうか、
おじいちゃん、守ってね、。






2014年8月24日日曜日

嘔吐で毒出し?

先月の事になりますが、、
(UPが追いつかない、、^^;)


まずは目指していた母の誕生日を、無事に過ごす事ができました。

無事に、?

うーん。。。今となっては、です。汗




これまで、大好きなスイーツも、フライものも我慢してきた母に、

「誕生日はどうする?何食べる?」と聞くと、

「まぁ、食べられるもの限られてるからなぁ、、」と 寂しげな返事、。



あぁ、、
ここって時の押しが弱い娘、

つい、、


「誕生日くらいはちょっと好きな物食べてみる?」


あぁ、、
ゆーてしもたんです、、。





いつも厳しい娘(笑)から
解禁Dayをもらった母は、

「そ、そう、?」と・・・

やっぱり、ケーキ屋さんへ。。^^;



久々に美しいデコレーションケーキを買って、
ささやかにお祝いを♪^^*
そう、この時までは。。




問題はその後です。。







その日の夜中、
母を、激しい嘔吐が襲いました、、。

もうそれはそれは地獄のような苦しさだったようで、
悶絶の数時間、、、

父がそれに気付いてずっと背中を摩ったり押したり
してくれていたそうです。
ありがとう、、

やっぱり、夜中に傍にいられないのは不安。
横で寝ていれば、いつでもスタンバイしていられるのにな、。




でもその嘔吐のお陰で、
なんと・・・・ウソのように体が軽くなった!と言う母。

一時的ではありましたが、
胃の辺りの不快感もなく、
倦怠感もなく、
爽快な誕生日明けだったようで、、^^;



いや〜!良かった!(良かったのか?笑)



ずっと吐き気があって、吐きたいのに吐けていなかったから、
ドドド!と毒出しできて嬉しかったみたい♪


それ以来、
本当の意味で、“ケーキはもういい”と申しております。^^;


勧めたりしてゴメンね、TT

でも、
食べた事がある意味ターニングポイントになったのでは?
と都合良く解釈する母娘。笑


少しずつ、母も冷え取り体質になっているのかもしれません。


甘いものが美味しいと感じなくなる、

欲しいと思わなくなる、

食べなくなる(食べたくなくなる)

これが自然にできるようになっていくなら、
言うことなしなんですが☆



めんげんについては、
私も色々体験済み。
あんな事もあるので、
今回の嘔吐にもきっと意味があるんだと思っています。^^




2014年8月17日日曜日

絶賛毒出し中で膵臓時間もクリア?

朝の7時から11時は膵臓時間だそうです。

この時間帯に膵臓が動き出すため、
膵臓が悪い人は午前中が特に不調に感じるんだとか。


朝にしんどがる母の様子を、
841さんや、kotori worksさんにご相談しては、
都度、母を励ましてきました。



「ほんまに良くなるんかな、、」と弱音を吐く母に、
冷えとりの基本的な話をじっくり話して、
私の体の変化で説得力をなんとかくっつけて、
今まさに変化しつつある母の体のチェックを一緒になぞって、

ほらね、前よりだいぶん良くなってきてるでしょ?
自信もたな☆
こうやって話してる間も、体の中は動いてくれてるねんで♪と。


何度も繰り返しています。

何度も何度も同じ話を聞かせています。

脳内洗脳。笑



不思議と、
私と話した後はピョコンと元気を取り戻してくれるんです。

筆者Charmちゃんは話し上手では決してないですが、
こっちも必死!
母の不安を少しでも取り除いて、
誤摩化して誤摩化して、脳を騙していかなくちゃ。

『伝えたい』想いの力は偉大。

本音はハラハラ、ドキドキしながら選んだ言葉達が、
なんてなんて流れるようにスムーズに、
母の胸へとダイブするのでしょう。

愛だね、愛。笑





“朝しんどかった”と過去形で言えるのは、
0ではないけれど、朝も少しは楽になってきているからです。
(これは本人にしか分からないですが、端で見ていて言えるレベル)

靴下はついに11枚目が破れるようになりました。
場所は親指と踵。
うんうんいい感じ。

足の裏、指の間の痒みも始まっています。

これがかなり痒い!

「いいよいいよ〜〜」
とエロカメラマンのような応援をする娘。爆

痒いのもめんげん♪
特に、足指の間から毒が出るので大正解!
シルクガーゼを渡しておきました。

「これで好きなだけ掻いていいよ ^^」

出口を広げてやるというこの考え方、
なかなか最初は取り入れにくいのですが。。




あとは肩凝り?

肩の痛みも消化器の毒出しだそうですが、
これが痩せすぎて(寝る時に)痛いのか、
めんげんで痛いのか、、?





冷え取りをし始めて出た症状はすべて“めんげん”


これがなかなか難しい・・・
傍に進藤先生はいらっしゃらないし、
不安との闘いです。

だからこそ、
洗脳が大事。笑




2014年8月5日火曜日

健康チェックには「無色」がおすすめ☆

何が「無色」なのか?



ホラ、あれあれ。

おトイレのタンクで鎮座している
○ルーレットやらの水洗芳香洗浄アイテムです。



以前はブルーやグリーンの色付きを買っていましたが、

それじゃ尿や便の色が見えぬ!

ということで、^^;


「無色」がオススメです。笑





おトイレでの健康チェックは大切。

母は入院当初、
尿の色が茶褐色で
便の色が白色でした。

「黒」よりも更に恐い「白」。
膵臓のエラー(胆汁が詰まって流れていない事)を意味します。





排泄物の色は、
肝機能や腎機能、大腸だって、尿管だって関係します。

ここにサインが表れる事もありますから、
しっかり確認しましょ。

そして、正常なら感謝感謝☆




2014年8月4日月曜日

体にやさしい抗がん剤「人参ジュース」開始!

本当は母との毎日の小さな出来事も
ここへ記録したいのですが、
色んな執筆が忙しく(笑)なかなかうまくいきません。



サイコロの方でUPしましたが、
温かいご縁で知る事のできた石原メソッドの人参ジュースを、
母にも取り入れてみました。

#冷えとりCharmの毎晩ご飯―スロージューサーで人参ジュース開始!



本当はもっとたくさん飲む方が良いようですが、
糖分の高いジュースが、
膵臓へ刺激を与えないか少し心配で、飲んでも2杯まで。
(放射線治療や抗がん剤の影響で、
肝機能が低下しているのは確かみたいだし)


私が家で作って持って行くので、
1回にできる量にも限度があります。
新鮮なうちに飲んでもらいたいから、
作り置きも出来ないし。。


はぁ、、一緒に住みたい。。




今、また少しビリルビン値が上がってきていて、
胆管が詰まり始めているのではないかと先生。
つまりステントを取り替えるタイミングかもしれないとの事。

少し前に38度まで体温が上がった事。
(本人はしんどくなかったようで至って普通でしたが。
めんげんの毒出し症状だと判断したのは間違い??)
血液検査の数値上昇。

それらを参考材料に、
少し様子を見て、ステント交換をしてもらうかもしれません。


でも、もしも膵癌が進行していたら、
ステントを取り外した後、キュッと胆管が縮まってしまって
新しいものを入れられないかもしれないとか。。
(取り外せない金属は嫌だし、。)


そしたらどうなるの、?

もうダメなの、?

母に疑問を抱かせないで。



高熱が出る、
腹痛がある、
この症状が出た時は、
ステントが外れたり、炎症が起きたりしていると考えられるようで、
救急で診てもらう心積もりで過ごしています。


膵癌の進行度に関わらず、
「胆管炎」で亡くなる患者さんが多いんだそうで、
不安は一向に消えません。





昨日は、調子が悪いというので、
泣きながら人参ジュースを作ったっけ。
急ぐ手が震えて、胸が苦しくて、
「助けて」としか言いようのない孤独な時間。

今日は少し楽になったようですが、
見えない母の体内が恐ろしい、、、。



どうすれば生きられるだろう。





2014年7月27日日曜日

まだ見えない。まだ見れない。

毎日、「膵臓癌」に関するサイトやブログを拝見しています。


特に、
同じ方法で頑張ってらっしゃる方の貴重な記録を覗かせて貰った時は、
じ、、時間が足りない、、!




皆さん、あの手この手、藁にもすがる思いで生きておられます。


もちろんそれはとても心強い情報で、
本当は明日も、明後日も、
その方達の闘いを順番に追い続けていきたい。


でも最近はね、
“今”どうされているか、を
先に確認してしまう。


例えば、拝読し始めた記事が2年前のものだったら、
すぐにトップページへ行って、
その方の息づかいを探してしまいます。





どうしてか、。






応援しながら、力をいただきながら進んだ先で、

“旅立ちました”と

ご家族が代筆されている最新記事を見るのはとても恐いから。



とっても恐い、。

息ができなくなります。





よく目にする「5年生存率」を信じてはいないけれど、
私は母の力しか信じていないけれど、




それでも、、
同じように頑張ってこられた方が
今もういらっしゃらないという現実は、
私をまた恐怖の闇へ押し込みます。




私にはまだまだ恐ろしくて、
5年後どころか今年の秋すら考える余力はありません。



だからね、
どうしても今は、現在闘病中の方のブログしか読めないんです、。





2014年7月21日月曜日

冷えとりで体温上昇キープ!

母の冷えとり大作戦は、
着実に、確実に、母の身体を変えています。


冷えとりを再開したのが
入院翌日くらいだったか、
冷え取り君」を持ち込んでエッチラオッチラ、^^;
病室で足浴し始め、

退院後、通院が始まってからも毎日、
朝は2時間。

お昼は通院から戻って2時間。

夕方からは、お風呂は軽めにして
足湯を3時間くらい。


体温は1日に3度測っていますが、
36度7分〜 36度8分と ベストな体温をキープ!

癌の進行はきっと止められるよ!

測り始めは36度5分でしたが、
(十分高い方よね、、でも癌にはなっちゃうのね、、)
少し上がったみたいで、よしよし♪

たまに37度を超える事がありますが、
熱っぽさやだるさは感じないみたい。
この微熱はめんげんと思っていいかな?
癌細胞を流し出す、典型的なめんげん。


お腹には毒出し帯もずっと巻いているので、
それも効果に繋がっているのかもしれません。^^
(この帯、欲しい時にすぐ手に入るというわけではないんです。。
人気商品なのと、量産しない手作り製品のため、
私も毎回再販待ち。。。^^;)

冷えとり靴下は12枚をキープ☆





放射線治療帰りに、
2日に1回は一緒にスーパーでお買い物するようにしていましたが、
照射のためにお昼を抜いているので、
腹が減っては戦はできぬ。笑
空腹でさらにヨレヨレになってしまうので、
お弁当を持参して、病院内で済ませるようにしました。^^

朝は食欲がなく、
お箸でご飯を口元へ運ぶのもしんどいようなのですが、
不思議とお昼はパクパクいってくれます。
見ていて嬉しいくらい♪
母のためにお弁当を準備している時間は、
慌ただしいながらも幸せな私。

食べられる量も少しずつ増えて、口数も増えたように思います。

買い物は良いリハビリになっているかもしれません。
そこそこ広いスーパーだと、一周するだけでも疲れますもんね。^^;
少し前の私と入れ替わったような感じ、。

あの時は、私が買い物の待ち合わせ後、すぐにベンチで休憩して、
母が買い物を済ませ、レジから呼び出しメールをくれるんでした。

だから、歩き続けられないしんどさは分かってあげられる。

立場は入れ替わってしまったけど、
(考えてみたら、ほんと、私もよく歩けるようになりました。;;)
またこうして一緒に、スーパーへ来られる事が幸せで、。
一人しみじみ・・・笑



少し前までは、
Charmが多くて4つの財布を握りしめて買い物に行き、
実家と新居の両方のメニューを考える
嘘みたいな毎日でしたが(笑)、
それも少し落ち着いて、
メニューまでは母が考えてくれるようになりました。

焦らず少しずつ☆
生きていれば、必ず良くなります。

体温上昇と共に、
母の免疫力、治癒力も必ず上がっているはず!




2014年7月9日水曜日

抗がん剤の副作用対策 白血球を増やすには?免疫を上げるバナナジュース開始!

放射線(IMRT)と、抗がん剤(TS-1)治療の副作用対策として、
バナナの摂取を始めています。


放射線と抗がん剤治療の副作用は、
前記事に上げましたが、
私達が自分で対策出来る事といえば、
やっぱり「食事」かと☆



どうしても免疫力が落ちるそうで、
血中の白血球数値が下がるのが一般的だとか。


「冷えとり」は免疫療法みたいなものだから
続ける事には意味があると思いますが、

下がらないで!の思いが前のめりになりすぎて(笑)、
あれやこれやと皆様にご相談している次第です。



バナナの力については、結構知られているし、
お手軽なのも良いですよね♪

以前に、Charmのサイコロのほうでも書いた事がありますが、
更に更にバナナって、
ダイレクトに白血球を増やしてくれるんですって。
それも、少ない人に対して影響があって、
多すぎる人の体に入っても増えないんだとか、、
えーーっ!かしこっ!笑



でもここで難関①。


母は、バナナが嫌い。爆^^;



でもね、
りんごと一緒にしたミックスジュースなら飲めるようで、
毎日、照射から帰ったらジュースタイムしています♪

分量はざっと、
・バナナ1.5本(シュガースポットが出始めたものをチョイス)
・りんご半分(皮付き ここも重要。)
・お水80ccくらい

ぬる過ぎる時は3〜4個氷も入れていますが、
基本は常温(りんごは冷蔵保存なのでヒンヤリ♪)で、
もちろんお砂糖もなし。

本当の生ジュース、これ、けっこう美味しいんです。^^


冷えとり的には、
生の果物は体を冷やすと言われていますが、

「白血球が増えるんだ♪」と信じられて、
美味しく頂けるならそれが一番♪


ちなみにバナナは見切り品がベストです☆
お店に置かれてから、1週間くらい経った
黒斑(シュガースポット)が出てきたあたりが
免疫力アップに繋がる食べ頃!^^
綺麗な黄色い状態のものから比べると8倍もパワーアップするんだとか、!





そしたらね、

照射3週目にも関わらず、
数値が「5」だけですが増えたんです〜!^∀^
って、喜んでるの私達だけでしたが。。^^;

帰りは「すごいやん!」って家族だけで大盛り上がり。^∀^;


その後、また少し減ったりしていますが、
許容範囲内で問題なーし♪


ちなみにお灸も、施灸3〜4時間後に白血球が増えるんだそうで、
ダブルの効果でキープできているのかな♪





もうね、何でもやる、何でもやります。
母のためなら何でもやります。笑

ですので、これをご覧下さっている皆さま、
「これいいよ!」な情報をご存知でしたら、
是非、アドバイスをお待ちしております。^^*

なんちゃって、初の呼びかけ、ここからもしてみたり。





白血球が減ったら、増やすお薬もありますよ、
こんな副作用が出たらこんな薬で抑えられますよ、

次々と紹介されるお薬の数々、。
一体、治療ってなんなんでしょうね、、




ちなみに母は、
いただいた吐き気止めや下痢止めを一切飲んでいません。

吐き気がしたら、私がとある指圧を念入りにしてあげる、
病院の待ち合い室でゼーゼー言っていた時も、
不思議と指圧で治まったんです。

便通も指圧でケア☆
早いと、押してすぐ・・・^^; です。笑
(食べている量の割に出過ぎ!爆 これって絶対、絶賛毒出し中だわ!)

写真の祖父達へのお願いが届いているのかしら、?
私の指先に、力を送ってもらっているのかもしれません。笑





2014年7月3日木曜日

余命宣告は本当に必要か?

放射線と抗癌剤治療を始めるにあたって、
ご丁寧に別室に呼ばれ、
「膵癌のはなし」てな、ご丁寧な冊子をいただきまして、

照射1週目から最終週までの
体の変化(副作用)について、時系列で書かれた説明やらを
まぁご丁寧に、それはそれはご丁寧に。。。


・照射部分の痛み、
・色素沈着
・湿疹
・吐き気や食欲不振、
・体重減少、
・肝機能の低下、
・白血球・血小板・ヘモグロビンの減少


まだここまでは良いでしょう。。説明義務のお立場もありますし。


でもこの冊子、
最終ページに何て書いてあったと思います?


膵癌の説明と、進行度のグラフです。


ほんと、
ドクター達は何を考えておられるんでしょう。


母は、膵癌である事は分かっていますが、
ステージまでは知りません。


こんな冊子を見てしまったら、
必ず聞いてくるでしょう。


「私は今どのステージなんですか?」ってね。





ほんと、、
分かってます?

それがどんなに無神経な応対か。


「余命を知って、闘病する覚悟を持ったり、
自分の人生と改めて向き合うことができる」
なんて、主治医はサラーーっと仰いましたが、


ご自分が、もしくはあなたの大切な人が同じ病気にかかったら、
同じ事ができますか?と問いたい。


人間、そんなに割り切れるように作られてはいないと思いますよ、
人生の時間を知らされるなんて、
そんな残酷な事はない。

もちろん、宣告されてもなお強く生き抜かれている方だって
いらっしゃるでしょうけど、
皆が皆生き抜けるわけじゃない。

どうして、そういう繊細な部分をもっと配慮してくださらないのか。




言わずもがな、この冊子は封印致しました。笑
(最終ページを見られないうちに無事封印!)

二度と母の前に現れないで。






母の“生きる気力”を守るのに毎日必死です。
いくつ嘘を重ねたか分かりません。
だって一度でも失ってしまったら、もう取り返せない気がするから。

どうか守ってください。

母の気力を奪うような物事全てから、
母を守ってください。




2014年6月26日木曜日

ビワの葉温灸でも冷えとり♪

自分の命と向き合った時は、
まだ泣く余裕があったんだと気付きました。

母の命と向き合っている今は、
嘆いている時間なんてありません。

今出来る事は何か、
母にしてあげられる事は何か、
休む間もなく、毎日、私も必死で生きています。


だからどうか私のタマゴズ、
一緒に頑張ってね、。






さて、母の本気の冷えとりは、
娘の私もビックリするくらい、習慣となり、日課となり、
母の毎日に溶け込んでいます。笑

放射線治療の通院が始まって以来、
しんどい外出から帰ってすぐでも、
足湯に浸かってくれます。

夏場、サンダルを履きたい女性を悩ます、足裏の角質なんかも
随分綺麗になってきて(冷えとり靴下で、水虫も良くなりますよ♪)
ぽろりと自然に取れ始めています。

「お〜! もうすぐこれも取れるね!」なんて一緒に騒ぎながら、
小さな喜びにも敏感に♪




私の方では、棒灸でのビワの葉温灸も始めています。
(元々、自分の治療のために目を付けていました。笑
ビワの葉の効能についてご興味がお有りの方は、是非検索してみてください。
葉に含まれるアミグダリンという成分には、抗癌作用があるんだとか。
将来リスクのある腫瘍持ちの私にも良いかと思って、一緒に始めました♪)


お灸グッズの調達は、
いつもお世話になっているオーガニックリネンの布なぷ専門店
Kotori worksさんで♪

だって色んな意味で安心だもの。^^



(↑小瓶もいちいち可愛いです。笑)


Kotori worksさんには鍼灸師さんもいらっしゃるから、
一時は甘えまくって、何度もご相談させて頂きました。

使い方に始まり、母の病状の相談、経絡のアドバイスなど、
いつもご丁寧な心強いサポートに、本当に感謝しております。




膵癌に効く!というツボはないようですが、

まずは消化器の不快感を少しでも取ってあげられたら、と
Kotori worksさんには、
「胃の六つ灸」なるツボを教えて頂きました。


期待できる効能は
消化器系疾患、内臓疾患へのKnock Knock!

最低でも3ヶ月くらいは続けた方が良いとの事で、
実家分の夕飯準備をする前(母が一旦横になる時間)に施灸を♪


「膈兪」「肝兪」「脾兪」の三つの経穴を
左右2箇所ずつで、計6箇所。


最初はなかなか位置を定められませんでしたが、
今は親指でぐっと押した時に、
そうですね、小豆の半分くらい(笑)のポチっとした
ボタンのようなコリコリを見つけられるようになりました。

棒灸は太いので、そこまでピンポイントでなくても大丈夫だそうですが、
(お陰で素人でも施灸できます♪)

母も「そこそこ☆」と反応してくれるようになったので、
たぶん合ってるんでしょう。。。ね?笑 ^^;

施灸されるほうも熱さに慣れてきたようで、
当てていられる時間が長くなってきました。
(基本的には、6箇所を30分以内で終えるのが良いみたい。)



このモクモク煙りには驚きましたが、
この煙は、体に良いんだそうで♪
(でも換気扇は「強」! キッチンにカーテンをして
他の部屋に匂いが流れないよう、籠って施灸してます。笑)

私も一緒に浴びながら、
母と色んな話をしながら、
飛んで行け〜!!!と癌細胞に念じながら(笑)、

コツコツ、コツコツ、

余計な事は考えず、
良くなる事だけをイメージして、

必ず良くなる。

必ず助ける。

母は必ず生きる!




2014年6月22日日曜日

抗がん剤TS-1の併用・・・

前回ご報告した賢いロボット集団、IMRT。笑


本当は、この放射線治療IMRTのみに留めておきたかったんですが、
より効率良く照射するためにも、
抗がん剤の併用を奨められました。


その為の説明も、非常にヒヤヒヤする内容で、。。


「手術が困難な場合は・・・」とか
「ある程度の大きさの腫瘍に対しては・・・」とか、


進行度を知らせていない母には聞かせたくない
キーワードばかり。

思わず、先生に掴み掛かりそうになりましたね、、笑

それ以上言ったら、お口にガムテープ貼るよっ!!!




母の表情がどんどん曇り、
どれほど悪いのか、?不安が伝わってくるようで、
うまく息ができない数分間、。タスケテ、。

副作用の説明もまぁご丁寧に。。はいはいどうもごくろうさーん。。
(心の手にはガムテープ、プルプル・・・怒)

お立場は理解できますが、
ほんま勘弁して欲しいですね、。

その0ではない可能性のために、
全ての事細かい副作用の話。
サインまでさせられ、容赦ないですわほんまに全く。。
聞くだけで調子悪くなりそう・・・

「病は気から」なんて、西洋医学では通用しないのかしら。

その言葉一つ一つが、どれだけの影響力を持っているか、
お考えになった事がありますか?





それでも、IMRTの説明には希望を持ってくれたようで、
「抗がん剤も飲んだ方が、放射線治療に効くんやったら・・・」と
母は前向きに考えてくれました、。
副作用についても、IMRTなら軽くて済むよ、というオチのお陰で、
なんとか気持ちを立て直してくれた様子、。


これからお世話になる放射線科の先生に、
「これやったらいけるよ!(大丈夫)」と言っていただき、

その一言に、家族皆で涙。
廊下でウサギちゃんおめ目。笑



絶対に大丈夫。
絶対に大丈夫。



母に何度「だいじょうぶ」と言い聞かせただろう、

同時に自分にも、何度繰り返しただろう、



母は生きるんだ、って。



この治療を味方につけるんだ、って。




最新の放射線治療IMRTとは?

不思議なご縁で母が受けることが決まった放射線治療「IMRT」。

初めて知ったのは、確か、○藝○秋か何かで ある教授が書かれていた
最新癌治療の記事を読んだ時でした。

父のセンサーが、きっとそれを手に取らせたんです。笑



IMRT(Intensity Modulated Radiation Therapy 強度変調放射線治療)とは、
コンピュータ制御によって、腫瘍の形状に合わせて多方向から照射できるよう、
立体的に計算されたビームを用いた放射線です。

素人からしたら、 えっ、どーゆーこと???笑



これまでの放射線では、照射が困難だった部位の腫瘍でも、
このIMRTなら攻撃が可能なんだとか。

母のように、手術での腫瘍摘出が困難な部位というのは、
放射線を当てることも大きな負担となります。

特に膵臓は主要な血管が通っている場所、
それに消化器が密集しているため、
通常の照射では、正常な内蔵たちも攻撃してしまう事になります。
(そのダメージが、いわゆる副作用ですよね、。)
その為、線量を上げる事が出来ず、治療効果も期待出来ない事が多いんだとか。


それを・・・です、


このIMRTなら、
腫瘍の大きさ形を計算してコンピュータに読み込ませることで、
腫瘍部分にピンポイントで照射する事が可能なので、
周囲の正常な組織への照射を減らすことができ、
副作用を出来るだけ軽減させながら、強い線量を効率的に照射することが
出来るんだそうです。

へぇ〜〜っ、、!@@



ちなみに、IMRTには3機種あって、

■高精度のロボットアームによって、
あらゆる方向から集中的に腫瘍に照射できる「サイバーナイフ」
(X線透視システムにより、精密な位置補正が可能なため、
これまでの「ガンマナイフ」のように、金属製ネジを直接刺す事なく
照射できるそうです。)


■肺や肝臓など、呼吸による臓器移動の影響が大きい部位には、
呼吸の動きを補正しながら、ピンポイントで効率的に照射できる(呼吸性移動対策)
「トゥルービーム」


■回転しながら360度全方向から腫瘍に照射できる「トモセラピー」
小さな腫瘍から、リンパ節や近接臓器に浸潤するような大きさの腫瘍に対しても
治療が可能。
脊髄や唾液腺といった、放射線によって障害を受けやすい臓器に近接する
頭頸部癌や、脊髄を取り巻くように広がる骨腫瘍、
直腸と膀胱にはさまれた前立腺癌なども治療可能。





母が受ける事になったのは、上記3つのうちの「トゥルービーム」です。


まさか、こんな最先端の賢いマシンに助けて頂けるとは・・・


基本的には、西洋医学治療の常識を覆し隊(笑)の精神でおりますが、
こんな賢い集団に囲まれると、そうも言ってられません。。


助けて、!
母を助けて、!


その一心で、
すがれるものにはすがりまくりたいと思います。。。笑



もちろん、冷えとりはフルコースで続けていきます。^^




2014年6月15日日曜日

最新放射線治療「IMRT(強度変調放射線治療)」に期待!

食材を切る時でさえ、いつもこんな風に念じてしまいます。


良くなりますように良くなりますように。

この栄養素が、癌ではなく、きちんと母の体に行き渡りますように。



寝る前には、写真の祖父達に願い事を。

今日も見守ってくれてありがとう。
明日もたくさん毒出しできますように。
お母さんの体を、気力を、守ってね、
まだ、連れて行かないでね。






母には、正直、冷えとりだけで治療してもらいたいですが、
現実はなかなか難しいもので、

先日も書いた通り、
効こうが効くまいが、放射線を受けさせて欲しいとお願いしました。

病名を聞かされたのに、治療法がないなんて、
そんなの恐ろしすぎるもの。
“治療を受けている”という安心感がどんなに救いになるか。







私達は本当にツイています。

主治医の元に非常勤で来られている、
放射線科の先生のお話が聞けるとの事。

調べると、
その先生は、癌治療のスペシャリスト集団が立ち上げたばかりの
最新設備が揃った病院から来られている方でした。

父が調べた「IMRT」という最新の放射線機械が、そこにはあったのです。

しかも、全国でもこの機械と専門技師が揃う病院は数少ないとの事。

さらには、最新の治療法にも関わらず、
昨年あたりから保険適応されたそうで。

もひとつ言うなら、近い!


ウェ〜ン、、
こんなに有り難い話があるでしょうか、。


何から何まで、始めから用意されていたかのように
母のための色んな事が、向こうからやってきてくれている、

そんな風に思えてなりません。



だからきっと助かるよね、
母はきっと生きる!



この不思議なご縁に、私達家族は身を委ねてみようと思います。




2014年6月12日木曜日

冷えとりの呪文

「お母さんは今日も良くなっている」
「今日も絶対良くなっている!」


往復道で風を切りながらブツブツ(いや、あれは結構な大声だぞ。笑)、
呪文のように唱えるのが日課です。

これを言わないと、母を連れて行かれそうで。





以前に、
もうええっちゅーねんゆーくらい(コッテコテの関西弁、失礼致します。笑)
主治医から聞かされた、“これからのはなし”が、
どうも頭を離れなくて、苦しんでいます。



抗癌剤を服用したとしても、平均で8.8ヶ月。

今はまだ良くても、
そのうち、“その日”は必ず来ます。

ご飯が喉を通りにくくなり、
遂には食べられなくなり、
血管や臓器が出血するようになると、
吐血する事も考えられます。

必ず、そうなる日が来ます。
私には見えています。



は?!
こんなにもハッキリと「悪くなります」宣言する医者がどこにいましょーか?!
悪化する事をこんなに念押しされたのは初めて。

は?!
あなたほんとにドクター?





冷えとりの話はしていません。
主治医の胸には届かないと分かったので。

だからこそ、こうしてブログでブヒブヒ叫んでいるのです。

みておれー!!!! と。





母は今日も絶対良くなっている!!!




2014年6月10日火曜日

寄り添うということ

告知前は、
刃物という刃物を隠す必要があるかも、とか、
余計な事を色々考えましたが(笑)、

母ならきっと大丈夫。

家族がいつも傍に居るから。
一人には絶対しないから。



同じ治療に、一人で来られる方もおられる中、
家族総出でゾロゾロ病室に入るCharmの母は、幸せ者です。(自分で言う。笑)



それでもやっぱり、母の辛さを傍で見ていると、
この病気の恐ろしさに、押し潰されそうになりますね、

患者側の立場も、看病側の立場も、両方経験しているから、
闘病の孤独は誰にも代わってやれない事も、
日々の一喜一憂に振り回され、心がブレてしまいそうになる事も、
寄り添っていて苦しい程ハッキリと感じます。


今出来る事は、
これまでと変わらない時間に、少しでも近付ける事、
でしょうか。



母がしんどい時は、静かに寄り添っています。
言葉はなくても、Charmの手から、パワーよ届け・・・
母の体に手を当てるだけ、
毒出し帯で背中を摩るだけ、
腕や背中を指圧するだけ、

手の温もりだけでも、本当に良くなるんじゃないか?なんて、
本気で思っている私。
患部に少しでも長い時間、ハンドパワー(笑)を送っていたい。

だって実際、少し楽になるようなんだもの。
しんどそうにしていた浅い呼吸が、不思議と少し落ち着くのです。

あぁ、本気でハンドパワーが欲しい。。



そして、母が会話できる気分の時は、これまで通りくっちゃべる。笑
“良い事”の小さな発見は必ず伝える。

・今日は顔色いいやん♪
・昨日より背中軽いんじゃない?柔らかくなってるよ♪
・(足湯で)足の裏綺麗になってきてるやん♪
・体温も安定!いい調子☆



逆に、顔色が悪い時は何も言いません。
「調子悪そうやね、、大丈夫?」なんて聞いたら、
それこそ、言霊でどんどん本格的な不調へと導いてしまいそう。


って、これ、人材育成のスペシャリストである
某社長に教えていただいた方法なんです。

まさか母で実践するとは・・・笑




まだまだ手探りな毎日。

言葉の力を、指先の力を、
愛の力を(笑)、
もっともっと私に授けてください。
あ、あと体力も。。。笑




2014年6月7日土曜日

干芋に泣いた日

あんなに甘いものが好きだった母が、
今、一生懸命、食事制限を頑張っています。


全く食べないのではなくて、
冷えとりしながら、少し量を減らしたり、
体を温める食品と一緒に摂ったり。


「おやつは干し芋とかにしてみたら?」と提案すると
気乗りはしないようで、、


でも、その後いろんな言葉をかき集めて説得したところ(笑)、
「あったら買ってきて、」とポツリ。


「よっしゃ、了解☆」





早速、近くのスーパーに行くも、干し芋は売っていなくて、
(あ、そっか、これは冬のもの?)

産地直送の自然野菜が並ぶお店には置いていました!

「あったー!!♪」

干しいもを見つけた瞬間、こんなにも嬉しいなんて。笑





素直に私の提案を聞きいれて、
頑張ってくれる母の姿がたまらなかった、。


初めて、泣きました。
4粒ほど。笑





どんどん小さくなっていく背中、
寝るのでさえも、痩せてしまった体の骨があちこち当たり、
苦しそうに顔を歪めます。

深い溜め息に、こちらもたまらなく不安になります。

どうか助けて、

どうか母を助けて、。




2014年6月3日火曜日

膵癌 告知の日

恐れていた告知の日、

心配と不安で、吐き気が止まらなかった日。



母にどんな風に告知するか、

主治医には細かい細かい台本を。。笑



・膵臓癌である事は伝えても、癌のステージについては絶対言わない事。

・“手術ができない”という表現はしない事。

・抗がん剤は(私達家族が)拒否。最初から「放射線治療」を勧めて欲しい。
 これを受けることで、“治療している”という安心感を与えて欲しい。

・治る、治らない、は関係ない。意味がなくても受けさせて欲しい。

・どんなに嘘を重ねても、本人の気力を守るのが最優先。




なんて、好き勝手な家族なんでしょう。笑


複雑な表情で聞くも、
何とか私達の希望を受け入れて下さった先生に感謝、。

母の状態で、抗がん剤を投与せず、放射線治療のみ受ける事自体、
イレギュラーなんだとか。。
(放射線治療は痛みの緩和に使う事がほとんどで、「治療」ではないとの事。)

でも正直そんなの関係ありません。
イレギュラーであろうと、母の気力を守りたい。

でも相手は専門家です。
放射線科の先生から、「照射する意味ないよー」とバッサリ切られちゃったら、
主治医(消化器内科の先生)にはどうすることもできないんだとか。。
(後は、先生が周りのドクターからの目を気にせず、
よっぽどアホゥなお医者さんを演じてくれれば、通る事もあるかも・・・苦笑)



ちなみに主治医が勧める方法はこちら、
・抗がん剤のみ(抗がん剤で治るわけではなく、延命措置として。
もちろん、癌の種類や進行具合にも寄るんでしょうけど。)

西洋医学治療では、
癌の治療は、手術で摘出するのが一番。
それが難しい場合は「抗がん剤」のみか、もしくは「抗がん剤」+「放射線」
それだけ、との事。





母抜きで、先生と打ち合わせする事さえも、
母にたくさんの小さな嘘を重ねて乗り切り、
口裏合わせばかりする日々に、少し心も疲れたりして、。
それでちょっとイライラしたりもして。

限界というラインがあるのかないのか、
私も父も、ただひたすら耐える毎日でした。




先生から母への病名告知は、
私達のシナリオに沿って(笑)、慎重に、丁寧に、
病名も口には出さず、紙に書いて「このご病気が考えられるかなぁ」と、
実にやんわり表現して下さって、
本当に、本当に、感謝しています。

ドクターのプライドを一旦仕舞い込んで、
素人が言う“やり方”に協力して下さったんですから。
全く先生も面倒な家族に捕まったもんです・・・笑
(いやいや、本来は患者側にも治療法を選ぶ権利があると思ってますけどね。)


お陰で、母も心配していた程落ち込む事なく、
(もちろんショックだったでしょうけど、。)

「受け入れなしゃーない」と男前発言も健在で、
「おはぎ食べたい」と、食い意地も健在でございました。笑





冷えとりCharmとしては、体を冷やす治療は受けず、
本当は「冷えとり」だけで見守りたいところですが、
母にそれを理解してもらうのはあまりにハードルが高すぎると思うのです。。

どうか、放射線治療を無事受けられますように、。



そしてここから、
新たにヒヤヒヤさせらるのです。。




2014年5月27日火曜日

病気が人を育てる


患者としての気持ちも、
看病する側の気持ちも、
両方教わった今、
私に出来る事を探す日々。



病気は人を育てるんですね、

母の病名を告げられたあの日から、
私達家族は、一緒に少しずつ成長しているんだと思います。

立ち向かうしかないから。
どんなに悲しんだって、人間やっぱり、後ろに進むようには出来ていないから。

(「諦めたら、そこで試合終了ですよ、」by名監督  ←ご存知?笑)



あの日の夜、
未来を覚悟させられたあの夜、

父と、姉と、私の三人で、

「エイエイオーーーッ!!!」って、

手を握り合ったんだった。


「絶対助けるぞー!!!」って、試合前の気合入れ。笑


祖母には言っていません。
言えません、^^; 倒れちゃう、。





過酷で吐きそうですが、
毎日、音を立てて絶賛成長中。

病は体を弱らすけれど、人を、心を、確実に強くします。




2014年5月26日月曜日

必死のハンドパワー 笑

ハンドパワーって、
実際にあるのかもしれない。。



ド素人が施す指圧で、
少しは楽になるようなのです。

もちろんこれは技術じゃない、
きっと「愛」だね、「愛」。
(なんか昔そんなCMありましたね。。笑)



冷え性だった私の手も、
今は嘘のように温かく、
当てているだけでも気持ちが良いみたい。^^



癌が膵頭部にあるせいか、
背中を押すと右側の方が硬く、
じっくり押していくと盛り上がっている箇所が分かります。

それをゆっくり押してみると、
最初は「よくわからへんわ、笑」と言っていた母も、

「そこそこ、痛い、うんうん、」と反応してくれるようになり、
何となくですが、教えて頂いた経絡(ツボ)が絞れてきているのかしら、?



お願い、悪いもの全部出して!



そしたら、便まで○ッサリ・・・
(ほんまに効いてる・・・笑)



宿便を出すのが一番の排毒!がんばれ!母の体!!!





私が愛用している布ナプキン専門店のKotoriWorksさんにも、
いつも相談させて頂いています。
心強いプロの方々に甘えまくっております。
本当にありがとうございます。




Charm、なりふり構わず、ただいま必死です。


できれば私の両手に、
先生が降りてきて欲しい、。笑
あのゴッドハンドに助けていただきたい、。
(現在、残念ながら予約が入れられない状態なのです、。)




どうか、、娘のハンドパワー強化を!




2014年5月25日日曜日

ステント処置後に気をつける事(黄疸チェックも忘れずに)

最近は、浴層が寝室代わりになりつつあります。^^;


夜は、母がしんどそうに溜息をつくと不安になります。
なかなか眠れず、辛そうに寝返りをうつ度に目が覚めます。


今すぐに新居と実家の家事を両立させるのは
やっぱり難しく、、
頭を休める時間がなくて、
唯一、半身浴中に眠れるのです。(しかも結構グッスリ。。^o^;)

冷えとりしながら熟睡!一番良いんじゃない??
ナーンテ。笑

でも、お陰で体がなんとかもってくれているのかもしれません。
ありがとね、私の体。 パワーチャージはお風呂場でしっかりお願いね、。





退院後の母は、しんどそうではありますが
それでも入院中よりは元気で、
虎のような鼾に悩まされる事もないし(爆)、
我が家というのは自由で落ち着くもの。^^

少し調子が良いと、よく喋りますし、テレビを観ながらみんなで笑います。

先日の主治医の言葉は夢だったの??と思うくらい、
これまでと何ら変わらない時間。

唯一、痛々しい身体だけが、私達家族を現実に引き戻します。




退院後は1日3回、体温を計測。

胆管に通しているステントは外れやすいゴムチューブタイプなので、
外れると腹痛や高熱が出るのだとか、、。
(そんな説明で、よく退院許可を出したもんだよ、先生。。
家族は不安で仕方がありません。
あぁ、そうですね、“残り”を配慮して下さってるんでしたね。)


冷えとりをしている事もあってか、
母の体温はだいたい36.7度くらいをキープ。
うんうん、バッチリです♪


痛みの確認はそれとなく、食後のタイミングに聞き出して、
黄疸もチェック。顔色、白目の色、身体全体の肌色。

何か異変があればすぐに連れて行かなくちゃ。



不調がめんげんである事も考えられるので、
何か変わった事があれば、メモメモ。
841さんにもご相談させて頂いています。^^)
便の回数や状態もチェック。



ほらね、
うるさいド素人ナースの姿が見えてきたでしょう?笑



冷えとりで癌は消えると信じる事

本当はね、不安でした。

母が冷えとりを嫌がらずやってくれるかどうか。



めんげんが出てしんどくなったら止めちゃうんじゃないか、って。



信念を持って、痛みや不調に打ち勝つ事って、
誰にでもできる事ではないから。





余命1年と宣告された卵巣癌の方が、
毎日24時間(睡眠以外)半身浴をし続けて、
冷えとり半身浴の仕方はこちら
切り裂かれるような激痛(めんげん)に耐え抜いた結果、
癌が消えたという、伝説のような(笑)実例を、
私は冷えとりを始めてからこれまで、ずっと励みにしてきました。

でもそれを、母にも同じように強いるなんて出来ない。

素直に続けてくれている母なら、
めんげんも軽く済むかもしれませんが、
進行している癌の毒出しが簡単だとは思えないから。。



少しでも楽に出せるように、
母の気力を奪わないように、
祈り、叫ぶ日々です。


毎晩、写真の祖父達へお願いしています。

「今日も護ってくれてありがとう。^^
明日もしっかり毒出しできますように。
お母さんの気力が保てるよう、力をください。

どうかまだ、連れて行かないでね、」





排毒力を高めてくれる毒出し帯で、
出来る事なら24時間、母の体を摩っていたい。

外出中も、千手観音様の如く、摩る手を置いて行きたいくらいです。笑





母の前に、私が信じなくちゃ。

冷えとりを毎日しっかりやれば、必ず体は変わっていくと。
必ず体は応えてくれると。

自ら諦める体なんて存在しないという事を。




2014年5月22日木曜日

退院後の冷えとりスケジュール

退院後はもちろん、「冷えとり」フルコース。笑


初日は少しだけでしたが、
今では、足湯は毎日平均 計10時間。
(ほんとは24時間入って欲しいですけどね。笑)


何も言わなくても、朝起きてすぐに入ってくれますし、
食事中も浸かるのが当たり前になってきました。

足湯は、楽に続けられる点が本当に有難いですよね♪

だって、浸かっているだけで良いんですもん、
こんなに簡単な事はありません。^^



痩せた体で椅子に座り続けるのがしんどいので、
無理のない範囲で、靴下を履き直して少し横になったり、を繰り返しています。

冷えとり靴下も、毒出し力の強い正活絹を取り入れた計12枚。

足が暑いと言って2足履きが限界だったのが嘘のよう~
(足がほてるのも、冷えている証拠だそうです。)


入院中は履く動作もしんどかったようですが、
今ではほぼ、自分でせっせと履いてくれます。
(替えをセッティングして、強制的に前に置いておくのは誰でもない、この私。笑)


先生に太鼓判を押してもらった指圧も、
自信はないですが母にも押してみてます。
(先生にお会いしたいよ~~、、)
押すと少し楽になるようなので、毎度、念を入れながら押し続けています。


毒出し帯は、
テレビを観ている間や、洗濯機を回している合間に、
マメに摩り摩り。
終わったらチャッチャとお腹に巻いてくれますし、
本当、母が素直な人で助かります~笑笑





母が隣で寝ている。

ホッとします、。



両親の夫婦茶碗もお箸も、
いつも使っていた物を今まで通り揃えて食卓へ出せる幸せ。

一緒にテレビを観られること、
一緒にご飯を食べられること、
一緒に話ができること、笑い合えること、
一緒に眠れること、

「ただいま」と言えば、母の「おかえり」が返ってくること。

全てが有難過ぎて、感謝で熱出そうです。笑






2014年5月21日水曜日

退院祝いは「おはぎ」笑

入院8日目にして、退院。


ゴム製のステントは抜けやすいと聞いていたし、
ホントに退院して大丈夫、?と心配になりましたが、

そうか、、
主治医は“残りの人生”を気遣って下さってるんですね、。




でも、退院は有難い!

帰って来たらこっちのもん!

冷えとりも気兼ねなく出来るもんね!笑



一日でも早く連れて帰りたかったから。

病院なら常に状態を見てもらえて安心ですが、
何の治療もせず入院させるなんて、
良くなるものも良くならないもの。


余命は数ヶ月と言われて、

数ヶ月もありゃ十分冷えとりできる!!!と思った私は
やっぱり頭がおかしいんでしょうか、。爆

それとも、見えない何か(どなたか 笑)が、
私を恐怖から守ってくれてるんかしら、??






まずは病院を出た母の第一声。

「おはぎが食べたい」爆


えーっ!!笑


いや、まぁ、、嬉しいよ、そういうの、実に母らしくて。笑


油っこいものは摂らないで、という主治医の注意を守って、
少しくらいは、いいよね、と。^^;


地元のお気に入り和菓子屋さんに立ち寄り、
ご希望通りのおはぎを購入♪


「よく噛むんよ、少しずつやで、ちょっと食べるん早くない?」

横からピーピー、まぁウルサイ娘でございます。汗

「我が家のナースは厳しいな、笑」と言われる始末。。^o^;



嬉しいんですよ、
食欲がある事。

これってとても大事なパワーでしょう?



でも、ゆっくりとは言え、2個は食べすぎやと思うわ・・・お母さん、。。汗





毒出し帯で冷えとり促進!

入院中、足湯と冷えとり靴下に加えて、

出ました!

じゃーん!

毒出し帯(どくだしたい)。

そう、毒出し隊。笑



冷えとりーゼの必需品です。





これは母の不調が目立ってきた頃から使っていました。

毒出し帯は、毒出し力の強い、静岡の清肌布(しょうきふ)と、綿で出来た帯です。
きついめんげんを和らげて、毒出ししやすい体にしてくれるそうで、
摩ったり巻いたり当てたり、使い方は色々。^^


実は、めんげんがキツくて勤務に支障が出ては困ると、
冷えとりを一時中断していた母ですが、ここへきて本気の再開。^^;
(冷えとりとは?めんげんとは?という方へ、
 「Charmのサイコロ」Charmの冷えとり記事はこちらです。)


進藤先生の指示通り、顎から摩って、
背中は私が担当。

母が横になっていても摩ってあげられるし、
長い時は2時間くらい摩り続けたでしょうか。

やっぱり少し楽になるようで、
「背中やろか♪」と声を掛ければ素直に背中を出してくれます。笑



念を込めて。

出ろ出ろ出ろ出ろ・・・・
でろでろでろでろでろ・・・・
絶対出る出る出る出る・・・・(怪しい。笑)






入院5日目には、朝食のパンがほんのり甘く美味しかったようで、
久し振りに“食べるの大好き母ちゃん”の顔が見られました。笑


この時、黄疸のビリルビン値は、「2」に。

最初の「9」からグンと下がって、夕食から点滴も外してみることに。




ちょっとした事もオーバーに喜んで見せる。
母の気力を、少しでも持ち上げたくて、
冗談もてんこ盛り。笑いのあるネタは2倍以上笑ってみせる。

母の笑顔を見たらホッとします。
母の溜息を聞いたら苦しくなります。

母に寄り添い、母と一緒に生きる、
貴重で有難い毎日です。





2014年5月19日月曜日

冷えとりで膵臓癌が見付かった??

まだ、一度も泣いていません。


主治医からの恐ろしい言葉を耳にした時も、
不思議と私は泣かなかった。

泣きたい気持ちよりも、
“大丈夫。絶対に助けてみせる!”という覚悟と決意の方が上回っていたんです。

もちろん、気を抜いたらジャージャー雨の大粒涙が流れるかもしれませんが(笑)、
私達に、泣いている時間はない。嘆いている場合ではない。

だって、私達が弱気になったら、母をサポートできないもの。




ここまで私をガードしてくれているものは、何か?

宗教でもない、魔法のお薬でもない、

自ら体験した「冷えとり」の存在です。


この精神力を築き上げてくれたのは、お腹の中の病巣たちなのかもしれません。

自分の病気が分かったあの時から、
どうも既に、レールが敷かれていたような気がしてならないんですよね。^^;

じゃないと、
とっくに崩れてる。



確かにまだ、未来は恐い、。

来年、母はどこに居るだろうか?・・・

毎日怯えています。

でも、不思議な力が動き始めているのも確かなんです。



私の引っ越しが遅れた事、
連休前に救急で診てもらえた事、
黄疸が出た当日、すぐに減黄処置をしてもらえた事、
西洋医学とは別の考え方を、オタッキー娘が持っていた事(笑)、

そして、「冷えとり」をちょうどしっかり始めた頃から、
母の体調に変化が表れた事。


これは不思議で、
冷えとり靴下を寝る間だけ二足履きしてきた母が、
体調が悪いというので、

「一度、騙されたと思ってしっかり半身浴してみたら?」なんて
勧めてみたのがきっかけでした。

これまで烏の行水だった母が、
20~30分程、半身浴をするようになり、

その頃から(約2週間でしょうか)、
食欲が減り、食事の好みが変わり始め(好きだったパンが食べにくくなってきました)、
体重が急激に落ち始めたんです。



検査の腫瘍マーカーは正常値。
転移も今のところなし。
なのに末期?(もちろん、膵臓の数値は出にくく、マーカー自体は指標でしかないのは理解していますが。)



冷えとりを始めると、
奥にあった病気が見付かる、というのをよく聞きますし、

母の身体も、めんげんによって不調を知らせてくれた!としか思えないのです。



だからね、きっと母は大丈夫。

右足の親指の爪の変色は、
消化器(膵臓)からの毒出しです。

これは随分前から出始めていたんです。

たったの二足履きでも、
体は、毒出しを始めてくれていた。

食欲が減ったのも、体重が激減したのも、
毒出しが始まっていた証拠だと思っています。


本来の体の力を、神秘を、私は信じます。




“信じる力”が如何に凄いかを、
今日、心友が教えてくれました。

細胞全てを司る、“信念”。

私はこのはかり知れない力を、必ず味方につけたいと思います!



2014年5月18日日曜日

入院中も足湯で冷えとり!

「足湯器を持ち込みたいんです。」

主治医の「???」マークいっぱいのお顔。。^^;(そらそうよね、笑)



病室に足湯器を持ち込みされた方のお話を知っていたので、
そちらを参考にお願いしました。

・付き添いが居る時間のみ足湯器を使用させて欲しい
・準備~排水までは、全て付き添いがするので、
看護師さんにご迷惑はお掛けしません。
・音も出ません、周りも汚しません。(電源はお借りします^^;)


どう思われたっていい、
どんなに噂されたっていい、

とにかく、許可が下りてガッツポーズ!


翌日から早速持ち込みまして、
まずは2時間を目標に、母にとって初の冷え取り君♪


【高陽社】足湯器 冷え取り君 マイコンプレミアム FB-C80



座り続けているのもしんどいため、
初日は無理をせず、様子を見ながら・・・。

それでも2時間半は浸かってくれたでしょうか、
(準備から排水は、病棟の廊下をコソコソ行ったり来たり。。^^;)

靴下も10枚に。

今回の入院で初めて、母に靴下を履かせました。
母が祖母を看病していた時の様子が蘇り、
あぁ、こうして回っていくんだな、なんて、妙に冷静に納得したりして。。

幸い、私の勧める事にすんなり従ってくれたので、
思っていたよりスムーズに、入院中の冷え取り開始♪


初足湯のお湯は凄かった!!
30分もしないうちにみるみる垢が浮き始め、
かなり濁りました。

入院後一度もお風呂に入れていなかったのもあるでしょうけど、
私は、“毒出しできてる!”と嬉しかったし、
母にも少しオーバーに喜んで見せたっけ。






自宅に戻ると、
当たり前ですが母は居なくて。

食事も、テレビも、母が居ない事がこんなに寂しいなんて。。

きっと同じ事を感じた父と、何となくですが通じ合った気がして、
お互い、寂しさを敢えて言葉にはしなかった。

食事もスムーズに喉を通らない、。


さみしい、さみしい、さみしい、。




隣で母が寝ていた数日前までが嘘のよう。



というか、夢なの?

ほんとにそんな感じ。




一番恐れていた事。

でも、どうしてこんな事になってしまったんだろう、って
思っちゃいけないんだ、って。

この瞬間にも意味があるんだ、って。

嘆いている余裕はない。

今出来る事を、全力でやり抜くんだ!と

改めて決意した夜。




2014年5月16日金曜日

入院中も冷えとり!

入院3日目の夕食から、少しずつ食事を摂る事に♪
(主治医への誤解が解けて、痛みがないならいいよ、と許可が下りました。笑)

母も嬉しそう。


口からものを食べられるのが、どれほど有難い事か、。

ずっと欲しがっていた100%ジュースも出たそうで♪




さて、
冷えとりオタクの娘は何をし始めたか?と言いますと、

出来る事は限られているのですが、。


まずは、冷えとり靴下ね♪

もちろん、841さんの冷えとり靴下です。^^






これまで、母も少しは靴下を履いてきましたから、
今さら説明は不要。

6枚履いてもらいました。



お次は、
主治医に、「冷え取り君」持ち込みの許可を頂きに。






冷えとり作戦準備!

検査当日の夕方から入院し、
絶食開始。
点滴のみ。

母にとって、これが何より精神的に堪えたようで、
弱っていく母をベッドに残し 帰る辛さといったら、、。



それでも減黄処置後は順調で、
黄疸のビリルビン値が9→5に減ってからは、
顔や体の色も肌色に近づき、尿の色も正常に。

少しずつ食べられるかもね、なんて主治医に言われていたもんだから
気持ちも少しUPしかけていたのに、
どこから食い違ったのか、
母に“痛みがある”と思いこんでいた主治医は、
「当分ご飯は無理かな」と再度母に伝えたようで。

その言葉で再び気力を失った母は、
私達がベッドに顔を近付けるなり

「もうあかん、、」と訴えました。

「来んかったらよかった、、」と。まるで子供のように。



力無い声に、恐怖が襲いましたね、

本当に消えてしまいそうで、本当に恐ろしかった、。

どうすれば、、 どうすれば、、 と。



え?どうすれば・・・?

いやいや!迷っている時間はなーーーい!!!



私は冷えとりCharm!(いや、だから、誰やねん。笑)

いつやるの?


今でしょ!!(旬を過ぎてもおかまいなし!)フンガー!!!p(`¨´)q



入院中だって冷えとりするのだ!!!





2014年5月12日月曜日

膵臓癌発覚。黄疸で入院。

2014年4月28日、母入院。


重い身体をなんとか起こして検査に来ると、
検査前にも関わらず、医師から、
「今日このまま入院してもらうかも。」と言われました。

既に黄疸が出ていたのです。
前日までそうではなかったので、入院当日から、だったのかもしれません。

そして入院を決定付けた最大の症状は、
『白い便が出た』という事。



黄疸が出て、白い便が出るということは、
胆汁が何かしらの原因により流れなくなっている証拠なんだそうです。
(本来は胆汁の黄色が、あの便の色になるんですって。勉強になったわぁ。。)

母の場合は、
肝臓で作られた胆汁(消化液)が、
胆管で詰まり、十二指腸へうまく流れていない事が原因でした。


どうして胆管で詰まっているのか?




膵癌です。



膵癌による腫瘍が胆管を圧迫しているから。


腫瘍の場所は膵臓頭部。
病理検査結果とCT等の消化器内科専門医の診断結果は、
・クラスⅣ(Ⅴで癌と確定)
・ステージⅣ


母の症状は、
・吐き気(嘔吐はありません)
・背中やみぞおち辺りの不快感
・その不快感による睡眠不足
・食欲はあるがすぐに満腹になって量が食べられない
・そのため体重も激減

体重は2週間程で急激に5kg以上落ちました。
入院当日は本当にフラフラ、。






胆汁値を示すビリルビンの数値は、
正常値が1であるのに対して、母は9。
白い便と、茶褐色の尿が出るように。

これまでポツポツと貰っていた、
胃の不快感をやわらげるお薬の副作用にも、黄疸の表記がありましたが、
主治医曰く、副作用で出る数値レベルではない、との事。



ショックを受ける私達に、
容赦なく検査のフルコースが容易され、

母は、初めてのERCP(内視鏡的逆行性胆管膵管造形)を受ける事になりました。

細くなっている胆管に、「ステント(胆管の中に通して開く処置)」を入れてもらい
翌日には、ビリルビン値は9から5へ。
その後順調に下がり、今ではほぼ正常値に戻りました。





“黄疸が出る”というと、
私のような素人は、まず「末期」を想像します。

自分の心臓が行方不明になった瞬間。

末期の膵癌。
手術は不可能。
余命は・・・抗癌剤治療をして8ヶ月。しなければ・・・それ以下。



もうこのまま家には帰ってこられないんじゃないかと、
強烈に不快な胸騒ぎがして、とても恐ろしかった28日。

忘れない、きっとこの先も。
あの日眺めた病室からの外の景色も、
初めて見た母の車椅子姿も、点滴を繋ぎ横たわる姿も。




これから始まる、
私達家族の、覚悟の闘病。

命と向き合う。

命から絶対逃げない、

必ず助けてみせる。



魔法なんかじゃない、
奇跡なんかじゃない、
「これが本当の体の力。」
それを証明してみせる。


本当の冷えとり法、始めます。




2014年5月9日金曜日

母の末期癌闘病ブログを始めます。

「Charmのサイコロ」からお越しくださった方へ、
御心配をお掛けして本当に申し訳ありません、。


やはり、書かずにはいられないのです。


今もどこかで、同じ病と闘っておられる方がいらっしゃる限り、
私は母の頑張りをここへ記していきたいのです。



「命」と向き合った事は、これまで何度かありますが、
今回が一番苦しく、一人で居ると不安と恐怖で押し潰されそうになります。

ですがそれ以上に、
私達家族には、“必ず助ける”という決意と覚悟があります。



「冷えとり」を、身をもって体験しているから。
必ず、自分の身体も、母も、守ってみせます。^^




希望!希望!!希望!!!